小さいおうち(文藝春秋)・・中嶋京子
「ちいさいおうち」と「小さいおうち」
そっくりでしょ。
作家の貴方は、こういうことをします?
こういうことって恥ずべきことではありません?
岩波書店の「ちいさいおうち」を紹介し、中嶋京子「小さいおうち」の出版は異常であり、昨今の出版界の過去の作品や、様々な文章の盗用・盗作・模倣は良いことではないと私が指摘しなければ、 文藝春秋社と中嶋京子は知らん顔を通していたでしょう。
直木賞・芥川賞の受賞時の、あのおどおどした二人の顔と挙動不審な様子が、文藝春秋という右翼出版社の暗い部分を浮き彫りにしました。
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岩波書店の本は、夫が岩波書店のアルバイト学生の時から集めていましたから、何から何まで山のようにありました。
引っ越すたびに、荷物と言えば本の整理から始まるほどの嫌になる量でした。
結婚した頃は、子供の本はありませんでしたが、子供が生まれると「岩波こどもの本」を全冊揃えてくれました。
本当に嬉しそうに「岩波に注文したから」と言っていました。
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夫は私が出産すると、松田道雄さんの岩波「育児の百科」を買ってくれましたから、私は松田道雄さんが書いていることを読んで、いつもかなり適当に子供を育てました。
どれだけ読んだか分かりません。
母が遠くにいましたし、親戚も友人もいない街で、夫と暮らし始めましたから、母の代わりが「育児の百科」でした。
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「病気になっても何も惧れることはない、病気は自然に治るもの」、「熱を出しても冷やすと下がるからそれでいいんだよ」的な薬や注射=医者に頼らない育児を教わり、実行しました。
岩波書店の松田道雄「育児の百科」ほど良い育児の本は何処にもありません。
どんな育児書も松田道雄「育児の百科」には及びません。
岩波書店の松田道雄「育児の百科」さえあれば、安心して子供を育てることが出来ます。
よく覚えていませんが、 改訂版が出たはずです。
私はそれを手に取って読んだように思います。
しかし、夫が買ってくれた古い「育児の百科」の方が、ずっと優れた育児書でした。
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子供を育てるということは、実際は本の要らない、当たり前の暮らしの一部です。
人間だから特別であることは一つもありません。
子供は、産めば生きようとします。
病気になれば生きる為に、熱を下げようと高熱を出して汗をかき、苦しい時は胃の中の物を嘔吐し、怪我をすれば血を流してその血が凝固し、傷口を塞いでくれます。
人は死ぬ方向に向かうように出来ていません。
生物というものは、皆生きる為にその体と心が動くように出来ています。
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「女医が教える本当に気持ちのいいセックス」(ブックマン社)という本を新聞の広告やNETの宣伝で見たことがあるでしょ。
兵庫県出身
大阪大学卒業
産婦人科医 の 宋 美玄(ソン・ミヒョン)の本です。
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本に書いてある女性の性に関することは、殆ど嘘です。
女性は誰でも良くて、誰とでも性が上手く行くとは限りません。
其処が女性の悩むところです。
一生に一人も性の合う人に出会えないのが普通です。
初めだから上手く行かないとか、長く付き合えば、誰とでも上手く行く、ということはありません。
女性の性の充足というものは、なかなか得られないこともあります。
しかし、それが普通ですから、心配することはありません。
女性の性の充足は、対象次第ということになります。
充足のパターンなど全くありません。
その時その時、相手によりけり、体調も心理状態も影響します。
性のことだけに夢中になり、女性を性的に充足させることだけを考えている男というのも、気味の悪いものです。
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女は、性を充足したがるだけの、「機械」、ではありません。
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本を買って読み、それを信じてつまらないことを考えるというのでは、出版社の思う壺です。
文藝春秋は、特に「自殺」とか「死ぬ」とか、この暗い世をますます暗くすることばかり書きたがります。
世論をそうした方向に向かわせようと意図して書いているのですから、右翼雑誌文藝春秋の宣伝に乗ってはいけません。
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私は、2006年9月に自公政権によって言葉を奪われました。
2007年9月まで、私は詩を書くことが出来ませんでした。
文部科学省BMI人体実験によって通信衛星を利用した音声送信が始まったからです。
音声送信を始めたのは、安倍晋三内閣です。
音声送信は続いていましたが、私は詩を書こうとしました。
辞書や事典や本を使って単語を選んで繋ぎました。
今も詩を書く時には殆どそうしています。
そうしなくても詩が出来ることもあります。
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私が言葉を奪われて一番苦しかった時に使った本は、Rinser(リンザー)の「人生の半ば」です。
森光子は、この本の題名を真似てCDを出し、大ヒット中だとNETで宣伝していました。
森光子という人がそういう人だと知って、「なるほど、どうりでジャニーズ好きなわけだ・・」と納得しました。
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リンザーの「人生の半ば」だけが私の言葉になってくれました。
ニーナは私です。
私はニーナそのものです。
リンザーは1944年ナチス政府に対する反逆罪と国防力破壊活動への参加という嫌疑で逮捕され、刑務所に1945年の敗戦まで入っています。
リンザーは、
「わたしはそのころ書くことを学ぼうと決心しました。
そしてそれはものをできるかぎり忠実に描写することによって可能であると考えました」
と言っています。そしてそれはものをできるかぎり忠実に描写することによって可能であると考えました」
「人生の半ば」の三ページ目にリンザーの写真があり、その下に彼女の言葉が書いてあります。
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人生の意味を知ろうとして、それを問いただす人には、けっしてわからないでしょう。
人生の意味は、それを問わない人にだけ答えがつかめるのです。
・人生の意味は、それを問わない人にだけ答えがつかめるのです。
私は、リンザーの言葉がどういう意味か、今やっと分かりました。
私は「前科3犯の犯罪者」、「精神分裂病末期患者」、「キチガイ」と言われています。
そして私は書いてもいない社民党に関する記事を書いたと社民党に刑事告発(告訴が正しい)され、逮捕状も拘留許可もなく拘置所に違法な期間入れられ、家宅捜索によって、詩・記事・株不正売買・不正アクセス証拠を最高裁と最高検、全ての裁判所と検察に盗まれました。
私はこうした、「精神分裂病患者」であり、 「犯罪者」であるという国家犯罪による烙印を受け容れています。
人がどう思おうが、国家が私に対して何をしようが、私がそうでなければ良いことです。
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起こったことを自分自身が自分の心と体に刻み、受け容れることが生きるということです。
何を書くにしても、私が其処にいます。
私が知らない言葉を使うことは出来ません。
私が使う言葉を並べると、私が出来上がります。
書くということは、私を並べるということです。
出来るだけ詳しく、貴方に分かるように私の裸の言葉を並べる、それが書くということです。
・何を書くにしても、私が其処にいます。
私が知らない言葉を使うことは出来ません。
私が使う言葉を並べると、私が出来上がります。
書くということは、私を並べるということです。
出来るだけ詳しく、貴方に分かるように私の裸の言葉を並べる、それが書くということです。
私はリンザーと共に生きました。
今、リンザーの「人生の半ば」がなくても、私は詩を書けます。
しかし言葉が私の中になかった2007年9月から、2008年、2009年は、「人生の半ば」の中に並んだリンザーの言葉が私を救ってくれました。
私とリンザーはよく似ています。
リンザーはニーナで、私はニーナです。
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ほんとうはわたし、これまで一度も恋をしたことがないの。
いつもほんとうの恋ではなかったわ。
ひとりの男のためにほんとうに不幸だったことも一度もなかった。
恋するということが、どんなことかまるで知らなかったの。
でも今は知っているわ。
「人生の半ば」のニーナの言葉いつもほんとうの恋ではなかったわ。
ひとりの男のためにほんとうに不幸だったことも一度もなかった。
恋するということが、どんなことかまるで知らなかったの。
でも今は知っているわ。
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リンザーの書く、こんな言葉遣い・・が好き。
私もリンザーの「人生の半ば」を真似て、私が思っていることを書いてみます。
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・・・
恋は私もたくさんしたわ。
恋をしている時だけ、生きていると感じたの。
でも私は誰も愛さなかったし、誰も私を愛していないことを知っていた。
私は知っていたから、愛することはなかったし、愛されることもなかった。
どんな時も、私は傍らで、私とその人の風景を見ていた。
苦しむことも悲しむことも、私自身ではなく、私がそう望んだことだったから、何でもなかった。
私は、すべてのことから解き放たれて生きていた。
だから、こうしてこれほど辛い時も生きているし、生きていたいと思うの。
・・・
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リンザーとニーナが私を助けてくれました。
私達の暮らしに何かが欠けていると思います。
殺伐として、安直で、薄汚れている、そして、そのことに気付いていない、そういう人達が、日本を支配し、世界を支配しています。
でも、そんなことではいけないと思いますので、私が何もかも変えようと考えています。
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21:30 2011/01/09日曜日