民放テレビ番組小沢一郎民主党元代表の衆院政治倫理審査会出席問題に関し、
「気がお変わりいただけるかもしれない。(出席は)あり得ると思って期待している」と・・????
「歴史的に積み重なってきた故事も踏まえて決断されると思う」と・・????
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「気がお変わりいただける」とは、何処の言葉ですか?
「気」に「頂く」を付ける官房長官は過去にも大勢いたでしょう。
こんな簡単な敬語も使えないのでは、官房長官の役割は果たせません。
「気がお変わり頂ける」・・?
「気が変わる」とは言います。
「変わる」のは、「気」です。
「気」とは「気持ち」のことです。
「気」が主語、述語が「お変わり」。
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敬語とは、話し手や書き手が、相手や話中の第三者に対して敬意を表す言葉使い。
気持ちに敬意を表すのは間違いです。「お」+動詞連用形で「てもらう」の謙譲語です。
「お変わりいただける」と いう言葉がない訳ではありません。
あまりありませんが・・・
謙譲語というのは、謙(へりくだ)って譲る言葉です。
仙石氏が小沢氏に対して敬語を使うことも、謙譲語を使うことも間違いではありません。
しかし、人に対して使うのが、敬語であり、謙譲語です。
この日本語の間違いを日本に広めたのは、黒柳徹子とゲスト。
何にでも「お」を付ける。
「小沢一郎さんの気(持ち)が変わることを願っています」というのが正しい言葉遣いで、べたべたする言い方が流行っていますが、言葉はシンプルで媚びないように出来ています。
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媚びるのは、駐日中国大使館とLINKして私を中傷させ、不正アクセスによってコメント投稿不能にし、私が居なくなるのを見計らってしきりにチャイナネット城に登場し出した丹羽宇一郎と、何にでも「さん」を付け、意味の分からない論文を飽きずに発表しているレギュラー中川こうじだけで結構です。
・ 媚びる人間の言葉は、間違っていることが多く、言葉は正しいことと間違ったことを教えてくれます。
中傷専門の社民党ブログ「鳥居正宏のときどきLOGOS」がブログを削除しなければならなかったのも、正しい言葉、正しい行いではなかったからです。
戸井田徹、早川忠孝、BenjaminFulford、上杉隆にも、その内お分かれの日が来るでしょう。
正しい言葉を使う人間だけが生き残ります。
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「歴史的に積み重なってきた・故事」というのは何のことでしょう?
「歴史的に積み重なって来た故事」というのは、古い出来事であるとい内容の言葉の重複です。
「故事」というのは、昔から伝えられて来た、いわれのある事柄や物語。
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同じ民主党の人間にこういうことを言われて平気だと思いますか?
小沢一郎氏に「故事も踏まえて決断するように」と言いながら、尊敬語と謙譲語を使う、これが仙石という人間の全てを語っています。
小沢氏の過去に何がありましたか?
国民にその故事の内容を内閣府は伝えましたか?
官房とは、機密事項・予算・会計・統計・人事などの事務を取扱います。
官房長官である仙石氏がいう小沢一郎氏の故事とは、この中の機密事項に中るのでしょうか?
この言葉は、言われた側からすれば、「脅迫」に等しいと考えない。具体的内容がない場合、人は疑心暗鬼に陥るものです。
そこまで計算しての言葉ですか?
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徳島県徳島市出身。
父は裁判所書記官、母は高校教師。
これだけで大体分かります。
裁判所書記官が何をしているか、私は知っています。
「仙石は、フロント(社会主義同盟)というセクトのシンパだ」とWikipediaが言います。
おそらく自分達で書いているのでしょう。
家には何でもあります。
「全学連各派」という双葉社の「熱い」本を参考にします。
「フロント」とは、「社会主義学生戦線」のことです。
「社学同」というのがあります。
これは「社会主義学生同盟」のことです。
「社会主義同盟」はありません。
「フロント」は「社会主義同盟」のことではありません。
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同じことをWikipediaに書いているのが、社民党の阿部知子です。
阿部知子は鳥居正宏の親しい国会議員のドクターで、私の書いた絵は、精神分裂病末期患者の絵だと言い、その発言を社民党は、「鳥居正宏のときどきLOGOS」や戸井田徹厚生労働大臣政務官のコメント欄に書き込んでいます。
阿部知子は、「1974年東京大学医学部卒業(東大紛争の最中に入学し「社会主義同盟」に参加していた)。」とWikipediaに書いています。
初めは、「東大紛争には関わっていない、学生運動はしなかった。」と書いていました。
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学生時代政治活動をしていた人間が、その時代の組織の名を忘れることはありません。
国会で、公明党副委員長松あきらでしたか、仙石由人に学生運動のことを聞いていました。
「学生運動をしていた」と言っているのは、丹羽宇一郎も同じです。
そんなにしていたと言いたい理由は、何でしょう?
本当に学生運動をして来て、酷い思いをして来た人間は、そんな調子の良いことは言えません。
彼らの殆どが一生を棒に振りました。
非常に優秀な人間を、機動隊と公安と、警察が潰しました。
彼らに社会で活躍出来る場が与えられていたら、どれだけの日本を創ることが出来たか、少なくとも現在の閉塞的状況は全て回避出来たでしょう。
一方方向から世界を見る人間の大量生産を日本は行って来ました。
他は排除し、敬語も謙譲語も分からない人間が政治を行っています。
・彼らに社会で活躍出来る場が与えられていたら、どれだけの日本を創ることが出来たか、少なくとも現在の閉塞的状況は全て回避出来たでしょう。
一方方向から世界を見る人間の大量生産を日本は行って来ました。
他は排除し、敬語も謙譲語も分からない人間が政治を行っています。
仙石由人と同じ弁護士事務所後輩が、福嶋瑞穂です。
仙石は、社民党福嶋瑞穂と共に私を犯罪者にし、精神分裂病患者だと中傷して来た人間の仲間です。
仙石由人は、外務大臣の前原誠司と同じ陵雲会です。
それも会長を務めています。
元社会党、社会党を改名した社民党を離脱、四国市民ネットワーク代表を経て旧民主党に参加しています。
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フロントは、構造改革系
社会主義学生戦線全国協議会と言います。
フロントが「社会主義同盟」という名を名乗ったことはありません。
構造改革系は、1950年代後半ごろから顕在化した日本共産党内部の戦略論上の意見の対立から生まれて来たものです。
日本帝国主義が自立発展しているとし、日本革命の戦略は直接的に社会主義革命を目指す一段階革命であるとした。
要するに、日本共産党、社会党、無党派など既成政党から出たもので体制派であり、学生運動をしていましたと大きな声で言えるような危険な運動はしていません。
共産党の民青が何もしなかったのと同じです。
彼らは闘ったと言います。
しかし、闘った人々は、もう何処にも見当たらない、誰にも知られることなく、ひっそり暮らしています。
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1960年から1970年安保闘争、「あの時代に失われた心と頭脳が、もし生かされていたら」、と私は残念に思います。
日本政府は、彼らに過激派の烙印を捺し、盗聴などを続けて来ました。赤軍派など左翼ではなく、ただの暴力組織に過ぎません。
浅沼山荘事件の映像を繰り返し繰り返し流し宣伝することによって、「安保闘争は若い人々が殺し合いをしていただけ」という印象を持たせました。
そうした日本政府の稚拙さと非情と狡猾さを支えているのが、村上春樹です。
日本政府は、現在も、組織の中にスパイを入れ、かつての活動家とその組織を監視しています。
社民党は彼らを冤罪などの様々な運動に参加させ、カンパを募るなど、全学連組織弱体化、解体に向け、重要な役割を担って来ました。
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学生は大人を信じていました。
大人というのは、教授であったり、助教授であったり、作家であったり、詩人や、小説家、評論家のことで、左翼運動の先頭に立ち、出版物を発行しては貧しい学生に買わせました。
その後、その作家や評論家、詩人や教授、助教授はどうしたでしょう。
今もCDを売ったり、本を出版して売ったり、名誉教授になったり、何かを彼らが失ったでしょうか?
失う物も失う者もない者は、闘い続けます。
闘い続ける以外に生きる道が塞がれてしまってないからです。
彼らプチブル欺瞞者、偽善者の闘いは、もう終わりました。
コンクリートの壁が意図的にハンマーで打ち壊されただけで終わる闘争は、闘争ではありません。
彼らは元々闘う気などなかったのです。
彼らは、満たされていました。
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闘う者には、何一つ自由になるものがありません
闘う者には、何一つ自由に出来ることがありません
闘う者は、闘うことが生きるということです
闘う者は、闘い続けるしか生きる道がありません
何もないのです
誰もいないのです
誰一人いないのです
何も許されないのです
闘いはあれは嘘でした
闘いはあれはお芝居でした
闘いはあれは若者を大人が騙そうとしただけです
物やお金の前で人は揺るがない心を持ち得ないのです
・闘う者には、何一つ自由に出来ることがありません
闘う者は、闘うことが生きるということです
闘う者は、闘い続けるしか生きる道がありません
何もないのです
誰もいないのです
誰一人いないのです
何も許されないのです
闘いはあれは嘘でした
闘いはあれはお芝居でした
闘いはあれは若者を大人が騙そうとしただけです
物やお金の前で人は揺るがない心を持ち得ないのです
22:03 2010/12/27月曜日