思春期(ムンク)
ムンクの絵2点です。
ムンクの絵に登場する人物の顔は、亡霊の様(よう)です。
海も人も空も一つの枠の中に納まっています。
納めていると言った方が当たっているでしょう。
逃れようとして逃れられないものが誰にでもあります。
死人のような顔は極端な表現に見えますが、ムンクの絵は、私達人間が持っている心の「不確かさ」を表しているのではないかと思います。
ムンクはプロですから、意識的にそのように人の顔を描いたのでしょう。
意識的に描かせる力は、画家の心の内側の無意識な部分です。
色は明るい色と暗い色を使い分けています。
印象付けようとしているのは、背景色であり、「人」と、「人」が作り出す「闇」です。
ムンクの絵を暗い絵だと思わない人はいないでしょう。
私は「孤立」と「不信」を描いた画家だと思っています。
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世の中は、いつの間にか、人が暗いことを悪いことだと言い、暗くなって、或る想いから抜け出せないいる状態を「鬱」だとか、「ノイローゼ」だとか、「・・シンドローム」と名付けては、病気にしてしまいました。
これは、精神科医が行っていることで、精神病という病気は、ないも同然の病気ですから、儲けるにはもってこい、裁判で無罪を勝ち取るにはもってこい、警察が精神科と組んで因縁を付けるにももってこいですから、好きにしているわけです。
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何も考えないこと、何も考えない人は、何も産み出すことは出来ません。
真面目に深く考える人は、へらへら笑ってばかりはいられません。
現在の世の中は、考える人がいること、追求する人がいることを拒みます。
こういった時代は、悪徳の栄えている時代です。
日本の政治は政治ではなく、過剰な押し付けであり、世界の尺度は、お金と物で、それを経済と呼びます。
メディアは政治と経済を語ります。
嘘の押し付けと、要らない物に押しつぶされて来た善意の人々の生は、皆亡霊とダンスを踊るようなもので、ムンクはそれを誰よりも早く、描きました。
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亡霊は、精神科医自身であり、政治家であり、裁判官であり、悪意しか持ち得ない弁護士の貴方です。
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何故被害者である市川海老蔵さんを犯人にしようと、芸能レポーターとゲストと司会者は番組を市川海老蔵叩きに利用しますか?
加害者であるかの様な発言をした人は、謝罪を覚悟しての発言ですか?
何故容疑者が医者に行く前に弁護士が登場しますか?
普通の人は、先ず悪いことをしたら自首を考えます。
弁護士の所へ行くことを思い付いたとしたら、自分が悪いことをしたと知っているからです。
何故弁護士は直ぐに出頭させませんでしたか?
逮捕状は出ていました。
弁護士は、逮捕状のない逮捕を合法であるとする人達の集まりですから、逮捕状が出ても逮捕させないことも出来る人の集まりです。
医者に行ったのは、逮捕状の出る前、医者に行く前に弁護士と会っている。
弁護士が容疑者を隠していた・・・
弁護士というものは、何でも出来て、結構な職業ですこと・・・
しかし、弁護士は恥知らずな、みっともない職業です。
弁護士の任務は、犯罪者を守り、被害者を犯罪者にすることです。
・ムンクと恋人が争いどちらが発砲したか分からない事件というのがあります。
生涯独身だったムンクは、いい人と巡り会えなかったのでしょう。
結婚をした私がいい人と巡り会ったとも言えませんが・・・
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平和のために貢献した人は、ノーベル平和賞は貰えません。
争いのために貢献した人達は、ノーベル平和賞を貰えます。
賞に価値があると考えたことはありませんから、どうでもいいのにな、と思いながら書いています。
中国がノーベル平和賞に拘るのは、ノーベル平和賞に価値があるとするからで、私は中国のそういった点は、感心しません。
もし私のように、ノーベル平和賞自体を認めないのであれば、中国共産党はそのことを表明しなければなりません。
単に法に背いた人間、法で拘束している人間だからという理由で、「ノーベル平和賞は受賞させない」、「家族も中国から出さない」というのでは、ちょっと寂しいです。
・ 法というものは、絶対ではありません。
法の下に人はいません。
人は法の上にいます。
人を拘束し、支配するだけなら、法など要らないものです。
検事総長は、「法による支配」と言いました。
人を法によって支配すると平然と、公然と言い放ちます。
人は法で拘束されようがどうされようが、何者にも、何事にも支配されず、自由です。
法の下に人はいません。法の上に人はいます。
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20:59 2010/12/14火曜日