一行読む度に、チャンネル桜と日本会議を思い出しますので、おかしくて笑いが止まりません。
全部読めば、もっとこの小説が小説だと証明出来ますが、ちょっと飽きて来ましたので、又元に戻ります。
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歴史に帰る前に鮎沢巌さんの「民主主義の本質」に載っている第二次世界戦争の条約本文や、鮎沢巌さんが、戦争が終わった年の暮れに何を書こうとしていたのかを、知って頂きたいと思います。
私達は、日本会議や日本政府の嘘の歴史を押し付けられています。
普通に在る歴史というものは、優しい側面を持っています。
歴史は偉い誰かが作るのではなく、私達普通の人間が作るものです。
偉いと言われている人だけが登場する歴史は、作られた歴史です。
偉いと言われている人が偉かった例(ためし)はありません。
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この本は戦後直ぐに書かれていることから、国家が意図するところがそう感じられず、既に出版社もなく、著者もいませんから、私達日本人にもう一度長い戦争というものがどういう風に終わり、どういう風に人に影響したのかを知ることの出来る本です。
アメリカと親米派の手に渡った国家の影は、やはりこの本に影響を与えています。
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しかし、宮里政玄著「沖縄統治」岩波書店にあるようなアメリカの「メシアニズム」、「パターナリズム」を、当時誰もがそうであったように受け入れ、宣伝してしまっていると言って良いでしょう。
沖縄と現在の日本政府、社民党が行っていること、アメリカが日本をどういう風に保守化したかなどを知りたい方には、「沖縄統治」をお勧めします。
アメリカが何を自民党にさせているか、自民党が現在何を考え行っているか?
社民党と自民党が何故手を組んでいるかが全て分かります。
民主党小沢一郎が何をしたいかも分かります。
この「沖縄統治」は、昭和41年に出版されています。
私は、夫の持っていた本の中からこれを持って帰りました。
他は、自公民主社民党の所為で、古本屋がお金を取って持って行きました。
彼らは自民公明社民日本国家に組織されています。
古い歴史を、歴史に残っていた真実の最後の欠片を粉々に砕き、捨て、焼こうとしています。
夫の本を売れば、数百万円になったでしょう。
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急いで日本親米派とアメリカがそういうムードを作り上げる為に書かれた本である可能性もあります。
しかし、そうであったとしても、第二次世界大戦と呼ぶより、世界戦争を呼びたいと思いますし、戦争を続けることより、平和であることを願いますので、古いこの本がどういう役割を果たし得たのかも含めて読んでみることは、悪いことではありません。
意図されていない出版物はありません。
アメリカにとって、日本のことなどどうでも良いことでした。
アメリカが望んでいるのは、中国の資本主義化で、その為の沖縄統治であり、日本親米派との癒着です。
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鮎澤巌さんは、東京大学教授、社会政策学会を再建した方で、それ以上の情報を私は持っていません。
他に著書があれば読みたいと思います。
私にも分かるような言葉で書いてあります。
本というものは、読んで頂いて初めて、本の役割を果たすことが出来ます。
そういう著者と出版社の真摯な姿勢が過去には在ったんだ、と感心します。
鶴川にてと書いてあります。
鶴川は東京の町田市にある街です。
今日は一緒に鮎沢巌さんの「民主主義の本質」を読んでみましょう。
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鮎澤巌著
弘学社刊行(昭和21年6月10日発行)
民主主義の本質
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大権事項
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明治二十二年の日本帝国憲法第一条には「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定されてあり、統治権ぜんたいが天皇の掌握さるるところとなってゐる。
日本国の国民がその「自由に発表されたる意志」によって「最終的の日本国の政府の形態」を決定するさいには、当然第一にこの統治権の問題に関する民主的な決定をせまられるのであるがここに早呑込みをして、この条文に二つの別個な事項が取扱はれてゐることを見おとしてはならない。一つは天皇制の維持といふこと、も一つは統治権ぜんたいの掌握といふことである。日本国政府が無条件降伏にさいし連合国側にたいして申入れをおこなったのは「国体の護持」といふことで、それは必ずしも全体の統治権の掌握を問題としてはゐないのであるから、日本国民が最後的政治形態に関してその意志を表明するさいに、もし上に萬世一系の天皇を戴きつつ、統治権は民主主義の上から国民に帰属するものと決定するならば、さやうに定めることも可能なのである。
日本においては、憲法の発布せられた明治甘二年までは君主専制の政体であった。
憲法が発布されて専制政治の形態が廃棄されたことは、日本の国体の尊厳をいささかたりとも傷(「つ」が脱字)けるもので、なかったやうにこのさい進んで統治権に変更を加へられることは、「国体護持」の趣旨と矛盾するものでないのみならず、ポツダム宣言を受諾して発せられた大詔にしたがひ、民主主義を政治形態のうへに具現するゆゑんなのである。
・弘学社刊行(昭和21年6月10日発行)
民主主義の本質
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大権事項
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明治二十二年の日本帝国憲法第一条には「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定されてあり、統治権ぜんたいが天皇の掌握さるるところとなってゐる。
日本国の国民がその「自由に発表されたる意志」によって「最終的の日本国の政府の形態」を決定するさいには、当然第一にこの統治権の問題に関する民主的な決定をせまられるのであるがここに早呑込みをして、この条文に二つの別個な事項が取扱はれてゐることを見おとしてはならない。一つは天皇制の維持といふこと、も一つは統治権ぜんたいの掌握といふことである。日本国政府が無条件降伏にさいし連合国側にたいして申入れをおこなったのは「国体の護持」といふことで、それは必ずしも全体の統治権の掌握を問題としてはゐないのであるから、日本国民が最後的政治形態に関してその意志を表明するさいに、もし上に萬世一系の天皇を戴きつつ、統治権は民主主義の上から国民に帰属するものと決定するならば、さやうに定めることも可能なのである。
日本においては、憲法の発布せられた明治甘二年までは君主専制の政体であった。
憲法が発布されて専制政治の形態が廃棄されたことは、日本の国体の尊厳をいささかたりとも傷(「つ」が脱字)けるもので、なかったやうにこのさい進んで統治権に変更を加へられることは、「国体護持」の趣旨と矛盾するものでないのみならず、ポツダム宣言を受諾して発せられた大詔にしたがひ、民主主義を政治形態のうへに具現するゆゑんなのである。
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この「民主主義の本質」“大権事項”は未だ続きます。
鮎澤さんの「民主主義の本質」の使命は、象徴天皇制確立だったのかな?と今この時点で考えます。
この本は父の本で家にありますが、読んではいません。
読みたい、読む価値があると思う本がないことを知ってしまいましたので、皆さんと一緒にこうして読む時以外は、殆ど本は読みません。
御存知の通り色々な事情があり、本を読めない状況に置かれているということも、本を読まないことの理由の一つです。
明日も又一緒に読みましょう。
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毎日朝の内に庭を掃除洗濯、庭の手入れを行い、ギターやピアノの練習をします。
午後は食事後人民日報を読み、2時間から3間かけて記事を書きます。
http://pub.ne.jp/anataosute71
「成田悦子ni-na」と「今日この朝」で公開しています。
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21:18 2010/11/18木曜日