Within Temptation - Covered By Roses (lyric video)

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精神分裂病検査のない違法措置入院、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留

私は、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム、理化学研究所人体実験被害者です。法務省、大阪地検、大阪高検、米子地検、大阪簡易裁判所、最高裁は、捏造社民党名誉毀損事件を画策、家宅捜索礼状のない家宅捜索、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留によって、自民党、公明党、社民党、共産党、学者と全大学、全企業、全官公庁による窃盗、夫殺害、株不正売買、米子市養和病院違法措置入院、40にも及ぶ違法有料ブログ解約、厚生労働省、医師会、歯科医師会、看護士会、介護士会、各政党と党員、キリスト教、天台宗、創価学会、幸福の科学、ものみの塔など宗教法人と信者による音声送信とストーカー、嫌がらせ、自民党社民党によるOCN、EDIONenjoy違法プロバイダ解約等の証拠隠滅を行いました。私は、詩人、エッセイストでもあり、翻訳家でもありますが、私の詩、エッセイ、翻訳詩、翻訳小説、翻訳文を、日本政府は、世界中に売っています。

プロ以上の翻訳を成田悦子

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    1 日前

2010年11月2日火曜日

台湾は中華人民共和国に返還されている

文明・文化という愚かな衣が幸福を壊します。
教育も福祉も、国家という支配体制は、何一つ幸福を齎すことは出来ません。
科学者と医学者は肉体の死を、法学者は精神の死を贈呈します。

台湾
隋代ごろから流求・瑠求・琉求と呼ばれ、高砂族(インドネシア系)の住地であったが、明代頃からしだいに対岸の中国人が移住した。
1624年に南部にぜーランジア城を築いたオランダは、
1661~2年には鄭(てい)成功に追われた。

1683年に鄭氏が清にくだって以後は清朝の支配下に入り、台湾の名で呼ばれるようになった。
1895年の日清戦争後の下関条約により日本に割譲されたが、太平洋戦争後中国に返還された。1949年(中華人民共和国建設)以後、大陸から逃れた国民政府がよっている。
三省堂世界史小事典(1964)

1964年には、台湾は中国に返還されたと書いてあります。
やはり台湾は中国の島です。
アメリカと日本は、何時から台湾を中華民国と認めたのですか?
台湾は中華民国ではなく、中華人民共和国です。


高砂族
台湾の原住民総称。
日本の統治時代(1895~1945)に命名されたもので、現在は国民政府により高山族とよばれている。
人口約21万。

清時代には漢民族に同化したものを熟蕃(じゅくばん)、同化しないものを生蕃と呼んで区別していた。
言語はアウストロネシア語族のインドネシア語群に属し、内部はアタヤル族・パイワン族・アミ族・アパヤオ族・ブヌン族など大別して九種族に分けられる。
種族によって言語・文化・社会組織などにかなりの違いがあり、それが台湾渡来以後に分化したものかどうかは不明。
台湾に住みはじめたのは紀元前のことと考えられるが、7世紀にはじまり、十四、五世紀に至って急激に増加した中国大陸の移住者によりしだいに圧迫・同化され、現在までに西部平野のものはほとんど漢民族化してしまった。元来焼畑によるアワ作りと狩猟をおもな生業とし、一部にタロイモ栽培を行うこともあったが、オランダ人・中国人の接触が強まると、ウシ・スイギュウなどの飼育や稲作も行うようになった。

以前には首狩りをする種族もあった。
学研現代新百科辞典1966年青木保

高砂族、高山族、日本と中華民国はよく似た名前を付けます。
中国はそういう差別的分類をしません。
これだけで日本中華人民共和国、中華民国の国家の道徳レベルが分かります。
人権と叫ぶ団体は、人権を侵害する団体で、改革と叫んだ鳩山邦夫と渡辺善美は改革と無縁であるのと同じで、あれこれ人を分類したがる国家とその支配者は、劣等感の塊です。

オーストロネシア語族の拡散。
台湾からフィリピンへ、インドネシアへ、太平洋へと拡散した。

隋の時代から中国は台湾の存在を知っていました。
地上を移動する手段として牛馬を用いて移動することが最速でした。
支配可能な範囲、情報を把握出来る範囲が現在とは雲泥の差でした。
私の想像に過ぎません。
台湾には78の属島があります。
オーストロネシア語族の拡散分布を見ますと、島と島を行き交って生活していたのでしょう。
何処の国家に属することもなく、長く種族・部族単位で生活をしていたと考えます。
台風の通過地点ではありますが、亜熱帯の陽気な生活・・魚は獲る、バナナは採る、芋は採る食うに困らない生活だったのでしょう。

文明・文化という愚かな衣が幸福を壊します。
教育も福祉も、国家という支配体制は、何一つ幸福を齎すことは出来ません。
科学者と医学者は肉体の死を、法学者は精神の死を贈呈します。


明朝は西海岸が倭寇の基地となった為、台湾を放棄していたこともあります。
明日又書きます。
今日は、三省堂の小事典を読んで記事を書きました。

20:57 2010/11/02火曜日