アブラムの紹命と移住第12章
・時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私が示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基(もとい)となるであろう。
・・あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
・・あなたをのろう者をわたしは呪う。
・・地のすべてのやからは、
・・あなたによって祝福される」。
・アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき七十五歳であった。アブラムは妻サライと、弟の子ロトと、集めたすべての財産と、ハランで獲た人々とを携えてカナンに行こうとしていで立ち、カナンの地にきた。アブラムはその地を通ってシケムの所、モレのテレビンの木のもとに着いた。そのころカナンびとがその地にいた。時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。アブラムは彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。彼はそこからべテルの東の山に移って天幕を張った。西にはべテル、東にはアイがあった。そこに彼は主のために祭壇を築いて、主の名を呼んだ。アブラムはなお進んでネゲブに移った。
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「祭壇を築いて」と書いてあります。
私は仏教も、キリスト教も信仰していません。
宗教や哲学には深い関心があり、子供の頃から、哲学の本はよく読みました。
最近でも哲学の本を開いたことはありますが、私にとって読む価値のある本は見つかりません。
信仰はしていませんが、夫が殺され、夫の保険金をそのまま北陸銀行が振り込め詐欺によって614万円振り込ませました。
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社民党直轄サイト「鳥居正宏のときどきLOGOS」を使って、私に「民事で000万円慰謝料を請求する」と2年前から何度も繰り返して恐喝させながら、私を送検もしない、起訴もしない、逮捕もしない拘留許可書もない状態で、大阪拘置所に23日間拘留し、公判は裁判官を使って公判開始の度に威圧と威嚇によって私の発言を抑え、その公判が2009年9月30日逮捕から5回の公判が終わるまでの7ヶ月半の間も、母親の事も私の兄弟の事をきちがいと呼び、きちがいを精神病院に入れないきちがい家族だと記事とコメントで中傷を繰り返しました。
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そうした社民党の恐喝と、大阪府警、大阪地検による恐喝脅迫は連動して行われ、私は裁判所に出かけて、このお金を払わなければならないのかと、北陸銀行弁護士の書類を見せて尋ねました。すると、裁判所では、「借りたお金は返さなければならない」と言いました。「子供が相続放棄しても、私が全額を支払わなければならなくなるだけだ」と言いました。
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私は保証人でもなく、夫の借金を全く知りませんでした。夫は心臓カテーテル手術を控えていましたが、その手術代も盗まれていて、カードの借金が水増しされ、携帯の履歴が消され、変えたばかりの古い携帯が紛失し、必ず置いてあった古い手帳が全部なくなっています。カードには保証があるはずです。そういうことも裁判所に言いましたが、「払わなければ私に請求が来る」と言いました。
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しかし、北陸銀行の弁護士の書類には印鑑も何も捺してありませんでした。弁護士名で書類を送った後にお金を請求することは違法です。私はそのことを後で知りました。裁判所のこうした無責任な発言がなければ私は支払うことはありませんでしたし、検事や社民党の恐喝、脅迫がなければ、北陸銀行を訴える事も出来ました。
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政府が警察に被害届けを出せないようにしています。社民党の中傷は許し、私の訴えは通りません。どうせ民事で北陸銀行に614万円の返却を請求しても、弁護士も役に立たない、警察も検察も役に立たない、裁判所はもっとひどいことをするところですから、私は北陸銀行に何もすることが出来ません。
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夫の祭壇をつくりました。
喉仏の骨は、社民党による違法な逮捕、公判と一緒にいくつも持って行かれ、遺灰も壁に塗られ、襖に塗られました。
写真にも落書きをされました。
これが国民に対して日本政府のしていることです。
夫の骨を置き、線香を焚き、花を供え、毎日ご飯やその他を供えるための祭壇です。
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葬祭業があり、喉仏の骨や遺灰を渡されますので、祭壇をつくります。
私は何もなくていいと思っています。
私は、こうして「夫が政府に殺された」と書く事は非常に危険なことですので、出来たら書かないほうが良いでしょうが、敢えて書きます。
それが夫にしてあげることが出来るすべてです。
私を思ってすることよりも、突然殺された夫のことを思ってすることの方が大切ですし、何もしてあげることの出来なかった人を私よりも大切にしようと考えています。
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花を供えることも、食物を供えることも、意味があることではありません。
今私が結婚して、そこに植えていたすずらんがたくさん咲いています。
私は昨日つつじと一緒にすずらんを夫の遺灰に供えました。
しかし、それはしなくても良いことだと私は思います。
私は外に咲いているすずらんに「あなた、すずらんがたくさん咲いたわ」と言いました。
それでいいのだと思っています。
死んだ人にして上げられることはありません。
死ぬ前にして上げられた事があります。
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社民党直轄ブログ「鳥居正宏のときどきLOGOS」を使って、政府、大阪地検は2年間の恐喝脅迫を支持し、繰り返して、夫に何一つ言ってあげることも出来ない状態にしておいて、夫は殺されました。
「あなた、何でもなかったのよ」と、私は毎日夫に電話をしたいと思っていました。
2年間の名誉毀損の捜査が行われました。
社民党が私を刑事告訴したと言っている2008年6月14日には私が名誉を毀損したという記事はもうありませんし、社民党が6月10日の夜までには違法に削除していますので、私のブログもありません。
ないブログのない記事を2年間どういう風に捜査できますか?
ないブログのない記事の捜査はどういう風に行いますか?
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私はその2年間の間中、社民党のブログによって「逮捕される」「送検される」「起訴される」「ついに逮捕」などと書かれ、住所氏名まで書き込まれました。
社民党に関係がないとは言わせません。
私は何度も社民党に「中傷を止めてくれ」と社民党ホームからメールしています。
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祭壇よりも、私は私に出来ることの方を大切にしています。
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10:21 2010/05/08 土曜日
Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳
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王室ウェルシュはその上ーミンデン六連隊の一つだった、彼らは彼ら自身の兵力をもって何度も何度も騎兵隊の本体に突撃し、場外にそれを追い遣るという前例のない偉業を成し遂げた。アメリカ独立戦争においてはヨークタウンでの降伏さえ、その連隊の一方的な完敗が不名誉と報告されるはずはなかった。海軍は陸軍を意気消沈させて来た;そし...
17 時間前