神はノアおよび共にいる子らに言われた、わたしはあなたがたの後の子孫と契約を立てる。
・またあなたがたと共にいるすべての生き物、あなたがたと共にいる鳥、家畜、地のすべての獣にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は再び起こらないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々限りなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起こすとき、にじは雲の中に現れる。こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にある肉なるものとの間に、私が立てた契約のしるしである」。
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*カトリック教会
聖書に現れる契約は、神が人間に恵を与えるためにご自分を拘束されることです。ご自分を拘束してまで人間に恵を与えようとされます。
虹の契約の後にも、かなりの間隔を置いて、神は人と契約を結ばれました。信じる人のために、アブラハムと契約を結ばれ、モーセを通してイスラエルと契約を結ばれ、最後に、全人類の救済のために、イエス・キリストと最も重要な契約を結ばれました。
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*日本キリスト教団
神様は、わたしたち人間と、そしてすべての生き物ととこしえの契約を結ぶ、契約のしるしは雲の中におく虹だというのです。虹が現れると、神様はここで立てた契約を心に留めるというのです。雲の中に虹が現れたら、神様がどんなことがあっても肉なる者を滅ぼすことはないという人間と結んだ契約を思い起こすというのです。神様の決意です。
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教会のサイトの記述を引用させて頂きました。
カトリック教会が言うように、神が自身を何故、どのように拘束したのか、私には分かりません。
少なくとも、ノアの洪水には出て来ません。
契約というものを、日本キリスト教団は「神の決意である」と言っています。
決意であることは間違っていません。
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神は人、地との契約のしるしを「雲の中の虹に置く」と書いてあります。
雲の中の虹の絵をよく見ます。
キリスト教関係の絵です。
私には「雲の中の虹」が何を意味する分かりません。
私は信者でではありません。
信者らしい、ものの見方はしません。
誰かがこう書いているから、こう解釈しているから、この考え方が正しいということを一切思うことはありません。
私が思うことだけを書きます。
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雲と虹について、「幸福は青空の小さい雲」という題にしてチャイナネットの意見に書き込んだことがあります。
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「幸福は青空の小さい雲」
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中国の所得の分配についての今回の討議を世界が注目しています。
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・・温総理は、「社会の富というこの『ケーキ』を大きくすることが政府の責任であるのなら、社会の富というこの『ケーキ』を上手に分けることは政府の良心である」としている。・・
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この言葉に共感致しました。どの国のTOPも語ることの出来ない言葉です。中国国民の所得分配が、より公平であることを望みます。
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資本主義は、もはや破綻をきたしています。中国が今後どういう風に所得格差を克服するかで、世界の思想・経済体制地図は大きく塗り変えられるでしょう。注目に値するところです。
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資本主義であるとか、共産主義であるとかといった既定の枠を超えた経済体制・・体制と呼ぶには相応しくない、特定の社会様式を超えた何かを目指すことができます。
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世界を一望し、そこから何かを得ようとする無垢なこころと研ぎ澄まされた頭脳を中国は持っています。今それが無いのなら、それを養い、私達に新しい国家と世界の在り方を見せて下さい。中国はそうすることが出来る唯一の国です。
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中国は、世界の中で良い位置、歴史の中の良い時節を得ています。それは、偶然獲得したものではなく、中国国民と全国人民代表の方々の世界を見る目と柔軟性が、生じさせているのだと考えます。
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お金が齎すのものが、即幸福ではありません。
その視点の上に立った富の分配を中国は目指すべきです。
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「幸福」というロシアのソログープの詩をさっき読みました。
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幸福 ソログープ
幸福は青空の小さい雲のようだ。
地上にうれしい雨を注いだが、
それは華やかな、美しい、遠い国のことで
日に焼けた、わが貧しい畑ではなかった。
幸福はみずみずしく熟した葡萄のようだ。
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その味はこころよく、その匂いは甘い。
われわれは足をそろえて、その実を踏んだが。
かぐわしい酒は口に入れなかった。
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幸福は春の陽気の野原のように、
色さまざまな花と、みずみずしい草があって、
そこでは子供らが笑い、鳥がさえずっている・・・・・・
われわれは獄舎の小窓からそれを見ている。
1889年
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青い空が富だとします。
そこに浮かんだ小さな雲こそ幸福です。
しかし、その雲は雲です。
雲は遠くにあって、そこにあるから雲です。
雲は雲という確固としたものではありません。
雲に近づけば、それは雲でさえありません。
その中に在っては、雲は雲足り得ず、幸福も幸福の中に在っては、幸福が何であったかも忘れてしまいます。
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私達人間は、皆、何かに囚われて生きています。国家も又、歴史や、刻(とき)の権力者の愚かさや、人口の増減や、人の構成や、地理的条件など、様々な要因に惑わされ、囚われています。
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獄舎の小さな窓から、「ひと」や、「世界」を見ると、案外何もかもうまくいくのかも知れません。
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以上がチャイナネットに送った意見です。
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ソログープの詩の中に雲、葡萄、地上に降り注ぐ雨、貧しい畑と聖書で遣われている言葉がいくつか出て来ます。
少し聖書を読んだことがあるだけで、ソログープが書きたかったことを、より多く知ることが出来ました。
貴方は貴方の解釈をすればいいことです。
私は私の解釈をします。
「雲の中の虹」
暗い雲、暗い世界、暗いこの時代に、何か良いことが起こるのではないかと、予感させる虹、美しくて心を惹かれ、そこに手を伸ばし、その方向に歩いて行けば在るに違いないと人は思う。
しかし、雲と同じで、何処にもそれは無い。
幸福も不幸も、善も悪も、明も暗も、美も醜も雲や虹と同じであり、私達が何に価値を置こうが、皆そこに行けば掴んだという手応えのの無いものである。
神は私達に確実なものは何一つ与えないよと言ったのでしょう。
それが「契約のしるし」の意味だと私は思いました。
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11:09 2010/05/02 日曜日
Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳
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しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の予備割り当て、僕達が引き受けた犠牲者をよぅ...
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