Within Temptation - Covered By Roses (lyric video)

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精神分裂病検査のない違法措置入院、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留

私は、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム、理化学研究所人体実験被害者です。法務省、大阪地検、大阪高検、米子地検、大阪簡易裁判所、最高裁は、捏造社民党名誉毀損事件を画策、家宅捜索礼状のない家宅捜索、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留によって、自民党、公明党、社民党、共産党、学者と全大学、全企業、全官公庁による窃盗、夫殺害、株不正売買、米子市養和病院違法措置入院、40にも及ぶ違法有料ブログ解約、厚生労働省、医師会、歯科医師会、看護士会、介護士会、各政党と党員、キリスト教、天台宗、創価学会、幸福の科学、ものみの塔など宗教法人と信者による音声送信とストーカー、嫌がらせ、自民党社民党によるOCN、EDIONenjoy違法プロバイダ解約等の証拠隠滅を行いました。私は、詩人、エッセイストでもあり、翻訳家でもありますが、私の詩、エッセイ、翻訳詩、翻訳小説、翻訳文を、日本政府は、世界中に売っています。

プロ以上の翻訳を成田悦子

  • Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳 - しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の予備割り当て、僕達が引き受けた犠牲者をよぅ...
    1 週間前
  • Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳 - しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として 叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の...
    1 週間前

2010年10月30日土曜日

「隋から元にかけては台湾を琉球と呼んだ」、それは沖縄復帰前の常識だった。

これは日米が、沖縄は日本の固有の領土であることを主張し、そのことを台湾、さらに釣魚島領有権に発展させ、日本は尖閣諸島と呼んでいる一帯を日本の領土とし、台湾を一つの中国と認めず、ロシア、北朝鮮、中国に対する防衛拠点とすることを狙っています。
中国包囲網をアメリカが作りたがっていて、日本の親米派がそれを望んでいるということの一つの現れです。
様々な機関に圧力をかけているのでしょうが、そうした行為は、日本の信用を失墜し、加速度的に日本経済を疲弊させるだけです。

私が琉球に拘るのは、東中国海、黄海、渤海を隔てているものの、台湾、釣魚島、韓国から中国大陸はあまりにも近く、アヘン戦争以来の戦乱の中で暮らした中国の過去の忍耐の歴史から考えて、どれだけ中国がこのことに神経質になるかが容易に想像出来、こうしたごく一部の右翼的な親米派がアメリカと結び付いて行うテロ的思想に裏付けされた暴走・行い(この部分が記事を書いている時に改竄されました。)によって、平和を望む東アジアの国々が動揺してはならないと考えるからです。


この文章は下記文中に出て来ます。
しかし、書いている最中に改竄されましたので、見出しに出します。

琉球処分について調べました。
琉球処分
Wikipedia
1872年、日本政府は琉球国を琉球藩とし、廃藩置県に向け清国との交易関係断絶、王の上京などを迫った。
琉球が従わなかったため79年に処分官松田道之が随員や兵など合わせて600人で来琉、武力的威圧のもとで廃藩置県を布達、首里城の明け渡しを命じた。
これにより琉球王国は滅び沖縄県となった。

松田 道之(1839~82年)は、日本の内務官僚・政治家。
大津県令、滋賀県令(初代)、東京府知事(第7代)などを務めた。
鳥取藩家老・鵜殿氏の家臣久保居明の次子として生まれ藩医木下主計にはじめ養われのち松田市太夫の嗣子となる。
咸宜園に学ぶ。
幕末は尊皇攘夷運動に傾倒し、明治維新後に内務官僚となる。
内務大書記官、京都府大参事、内務大丞などを経て1871年、大津県令に就任。1872年、滋賀県令に就任。1875年、琉球処分官として沖縄を視察。
以後1879年まで、琉球処分官として3回沖縄を訪問し、1879年の琉球処分断行に尽力した。
同年、東京府知事に就任。
1882年、44歳で死亡した。

琉球新報
沖縄コンパクト事典
琉球 (りゅうきゅう)2003年3月1日
中国によって名付けられた沖縄の国名。
古くは流キュウ、流求、流鬼、瑠求などと表記され(ただし『隋書』の流求は琉球説と台湾説あり)、明史以後は琉球に統一。
琉球国は中国冊封下の王国であったが、1872(明治5)年、明治政府によって琉球藩となり、国王は藩王となった。
さらに79年の琉球処分により沖縄県となった。
戦後は米軍支配下で再び琉球と称され、政府も琉球政府と称した。
日本復帰でまた沖縄県になった。(キュウは礼の示ヘンが虫)

琉球王国は、明の洪武帝の呼びかけに応じた1372年から琉球処分で王国が解体される1879年まで、約500年間の中国との交流の歴史があり、北京故宮博物院には、琉球王国から中国に贈られた東道盆や紅型を所蔵してあります。
沖縄県公文書館で琉球王朝時代の写真を見ようとしますと、
404 - ファイルまたはディレクトリが見つかりません。
検索中のリソースは削除された可能性があります。
または、名前が変更されたか、または一時的に使用不可能になっています。
と表示されます。
沖縄戦以降の写真は見せています。

これは日米が、沖縄は日本の固有の領土であることを主張し、そのことを台湾、さらに釣魚島領有権に発展させ、日本は尖閣諸島と呼んでいる一帯を日本の領土とし、台湾を一つの中国と認めず、ロシア、北朝鮮、中国に対する防衛拠点とすることを狙っています。
中国包囲網をアメリカが作りたがっていて、日本の親米派がそれを望んでいるということの一つの現れです。
様々な機関に圧力をかけているのでしょうが、そうした行為は、日本の信用を失墜し、加速度的に日本経済を疲弊させるだけです。

私が琉球に拘るのは、東中国海、黄海、渤海を隔てているものの、台湾、釣魚島、韓国から中国大陸はあまりにも近く、アヘン戦争以来の戦乱の中で暮らした中国の過去の忍耐の歴史から考えて、どれだけ中国がこのことに神経質になるかが容易に想像出来、こうしたごく一部の右翼的な親米派がアメリカと結び付いて行うテロ的思想に裏付けされた暴走・行い(この部分が記事を書いている時に改竄されました。)によって、平和を望む東アジアの国々が動揺してはならないと考えるからです。


琉球の歴史は、台湾の歴史でもあり、中国の歴史そのものであるのではないかと考えます。
冊封使の要請を受けて琉球が冊封体制下に入ったということが言われています。
元はどうであったのかを考えてみますと、台湾、琉球を小琉球・大琉球と中国が呼んでいたと言いますから、祖先は大陸と同じであったという可能性が高いと思われます。



昭和41年の三省堂世界史小事典に面白いことが書いてあります。
歴史は、時の政府の手によって塗り替えられていくものだということがよく分かります。

琉球
現在の沖縄。
しかし、隋から元にかけては台湾をさした。
明代になって沖縄諸島の呼び名となった。
早くから海上貿易に活躍し、明代以来中国に朝貢した。
15世紀初めに島津氏(薩摩藩)に征服され、以降中日両国に隷属した。
明治政府になってその帰属をめぐって日・清両国が争ったが、1879年、日本は沖縄県を置き正式に日本領となった。
1945年太平洋戦争の末期にアメリカ軍に占領され、日本復帰は未だ実現しない。

これは復帰前の辞典です。
琉球は、隋から元までは沖縄のことではなく、台湾のことだったと書いてあります。
明らかに日本が見つけた島ではなく、中国が見つけた島です。
日本は琉球=沖縄の存在を知らなかったのです。
それが復帰前の常識だったのです。
琉球は大きな中国の側の島、台湾だったのです。

中国側の使者が来て冊封交易を行ったと書いてあります。
冊封体制下の交易は、琉球に莫大な利益を齎したと言います。
これは、中国側が言っているのではなく、沖縄の良心的なサイトなどが書いていることです。
日本は言葉を奪い、富を奪って支配します。
しかし、中国は争うことを防ぐ為に、友好関係を保とうと努力します。
彼らは、争いがいかに無駄であるかをよく知っています。

中国には優れた陶磁器、漆器、絹織物がありました。
中国の冊封使は、半年も滞在したそうです。
もちろん、琉球から福州に渡った冊封使も長期間福州に滞在したでしょう。
教育、文化、技術を琉球に運びました。
五百年もの交流の間に混血も進んだでしょう。
文化も影響し合ったでしょう。
琉球にとって、悪くはない関係でした。

「15世紀初めに島津氏(薩摩藩)に征服され、以降中日両国に隷属した」と書いてあります。日本が関わると、必ずこういう支配関係になります。

今日思ったことは、少し台湾のことを調べなければいけないなということです。
中国と台湾の過去の関係は、どうなのだろうか?
台湾は中国の島だと考えるべきか、台湾そのものが国家としてあったのか、いずれにしても、国家という体制は、今日では当然在って然るべきものとされていますが、そう考えて当たり前という風には私は思いません。
私達人間は、国家に縛られていることでどれだけ不自由を強いられているかを考えますと、いずれ世界は一つになる、そう願っています。

21:13 2010/10/30土曜日