私の記事だけがこういう風にブログの名前と一緒に検索に載せてあります。
チャイナネットで2回、「涸れた倦み」の名前を「日本会議」は私の名前を使って出しています。
社民党がブログを削除し、最高裁の公判の為に、私の名前でコメントを書き込んで利用しますから、私は自分のブログをチャイナネットに書いたことはありません。
いつも私の名前を使ってコメントにブログの名前を書き込んだ後、私のブログの改竄を始め、記事を盗みます。福嶋瑞穂と前原誠司、麻生太郎、安倍晋三、福田康夫などの総理関係者現職外務大臣の右翼日本会議とアムネスティインターナショナルなどが行っていることです。
・「琉球王朝と中国の交易五百年の拠点福州」・・日本会議や政府・総務省が出させているブログの記事は、こういう風に検索に載ります。
ということは、Googleが私の父母の名誉を毀損し、私の人権を蹂躙していると言って良いということです。
私の夫を死ぬ前から元夫と書いていた厚生労働省、法務省の記事コメントもGoogleが主導しています。
又、夫が殺された日の「河童の捕獲」という「鳥居正宏のときどきLOGOS」の記事も、Googleが掲載させていると言って良いでしょう。
夫の葬儀の日の「判決」という記事も皆、Googleによる犯行声明ということが出来ます。
記事の名前が見出しに載るのが普通です。
読まれたくない時には、Googleは他のブログの文字を入れます。
こうした犯罪は、総務相片山善弘と相談してのことですか?
片山善弘総務大臣は、正式な手続きをせず、診察もせずにに、私を広江はじめ自民党県議会議員養和病院(創価学会)に、不正措置入院させた鳥取県知事です。
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琉球の正装は中国冠服です。
中山王の察度(さっと)が中国冠服を明朝から頂きました。
色々なところに色々なことが書いてあります。
常識から考えますと、
「中国の着物はいいですね、色も素晴らしい」
「そうですか・・」
「ではお帰りの日までに仕立ててお土産に差し上げましょう」
「本当に?ありがとうございます」
といった会話になります。
既製服を売っていたわけではありませんから、次の機会にお土産に持たせるとか、帰るまでに仕立てるとかします。
中国では型紙を使っていました。
日本の着物は、型紙を使いません。
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琉球と中国の関係は深く、着る物にも及んでいたはずです。
どちらの王朝でも、帽子を被った写真をよく見かけます。
清王朝官服
明王朝職員着用wushamao(烏紗帽)の肖像
琉球王朝
写真をドキュメントに入れても不正アクセスによって削除します。
彼らは琉球と沖縄のことを書かせていますが、何の意味もないサイトばかりで、日本が何を言いたいか直ぐ分かります。
日本は琉球は日本の国だと言いたいのです。
私は、日本の見つけた国ではないことを証明しようとしています。
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琉球は、中国の冊封国です。
琉球は、日本が見つける以前に中国に発見され、中国の隋の書物にそのことが書いてあります。
日本のサイトは揃って、「琉球は日本が見つけた島だ」と書いています。
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琉球には紅(びん)型という染色法があり、中国の博物館にも琉球の紅型があります。
閩語(びんご)というのは、シナ・チベット語族、シナ語派の言語の一つあるいは一群です。
福建省、広東省東部及び西南部、海南省、浙江省南部、中華民国、シンガポール共和国、マレーシア及び各国の華僑・華人の一部の間で使用されています。
この閩(びん)から来ているのではないかとも言われています。
閩(びん 909年 - 945年)は、中国五代十国時代に現在の福建省を中心にした国で十国の一つです。
923年頃の勢力地図。紫が閩
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台湾でも閩語を話します。
台湾で台湾語またはホーロー語と呼ばれている言葉も閩南語から派生したものです。
福州から台湾までは、飛行機で1時間半です。
福州から琉球まで船でどのくらいかかるのでしょう?
船は手で漕いでいたのでしょうか?
十日ですか?
一ヶ月はかからないと思いますが・・・
しかし、十日で着くのならもっと行き来していたはずです。
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琉球の帽子、中国の帽子・・よく似ています。
日清戦争以降日本政府は、日本化をかなり強いていますから、もう琉球の歴史はすっかり闇の中に葬られ、日本向けの歴史が作られていると思います。
歴史は、政権に利用されます。
・歴史は、政権に利用されます。
21:17 2010/10/29金曜日