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精神分裂病検査のない違法措置入院、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留

私は、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム、理化学研究所人体実験被害者です。法務省、大阪地検、大阪高検、米子地検、大阪簡易裁判所、最高裁は、捏造社民党名誉毀損事件を画策、家宅捜索礼状のない家宅捜索、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留によって、自民党、公明党、社民党、共産党、学者と全大学、全企業、全官公庁による窃盗、夫殺害、株不正売買、米子市養和病院違法措置入院、40にも及ぶ違法有料ブログ解約、厚生労働省、医師会、歯科医師会、看護士会、介護士会、各政党と党員、キリスト教、天台宗、創価学会、幸福の科学、ものみの塔など宗教法人と信者による音声送信とストーカー、嫌がらせ、自民党社民党によるOCN、EDIONenjoy違法プロバイダ解約等の証拠隠滅を行いました。私は、詩人、エッセイストでもあり、翻訳家でもありますが、私の詩、エッセイ、翻訳詩、翻訳小説、翻訳文を、日本政府は、世界中に売っています。

プロ以上の翻訳を成田悦子

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    1 日前

2010年10月25日月曜日

薩摩藩島津氏による琉球支配

琉球の人々の祖先は、日本から渡来し、また名詞は通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先は日本からの渡来人である・・羽地朝秀

羽地朝秀(はねじ ちょうしゅう)は琉球の政治家で、薩摩藩に留学、日本政府=右翼とアメリカの沖縄支配、尖閣諸島、釣魚島列島領有権正当性を支える一つの脆い柱のようなものです。
琉球人は日本人であると言いたいようです。
しかし、顔を見れば違うと分かります。
話せば日本が日本語を強制して来たことが分かります。

社民党福嶋瑞穂は、沖縄、沖縄と言います。
しかし沖縄の沙一粒も理解出来ません。
「辺野古環境破壊」が基地反対の理由だと言っていました。
私が「他の場所の環境破壊はどうでも良いのか?」と書くと、環境破壊を口にしなくなりました。
彼女は私が社民党の動画を記事に載せると、その動画を編集します。
福嶋瑞穂は、お話が出来ません。
何の考えもありません。
彼女が話せる言葉は、「もっともっと」と「沖縄」です。

1650年、羽地は王命により『中山世鑑』の編纂を行い、琉球王国最初の歴史書を完成させた。1666年、尚質王の摂政となり、数々の改革を断行。薩摩藩による琉球侵攻以来、疲弊していた国を立て直すのに成功した。1673年に摂政の地位を退き、1675年に死去した。のちに、琉球の五偉人に数えられるほど評価が高く、彼の葬儀には尚貞王も臨席する国葬級の葬儀であったという。

青い文字は、Wikipediaです。
羽地朝秀は、薩摩藩のスパイのような存在です。
薩摩藩による沖縄支配を決定的なものにしなければならなかったので、その為に本を書かせたという、それだけのことです。
「彼の葬儀には尚貞王も臨席する国葬級の葬儀であったという」
こういうのは多くの場合、右翼が書いています。
権威付けです。

『中山世鑑』(ちゅうざんせいかん)は、琉球王国の初めての正史である。
羽地朝秀が王命により編纂。
1650年成立。
全6巻。
和文体で書かれている。
正史としての性格上、神話的な琉球開闢説話など正確な歴史とは言い難い。
羽地の信条は日琉同祖論で「日本は即ち本であり、本にそむくものは禍に遭う」との立場から琉球独自の風習には批判的だった。
この信条は薩摩留学の頃に得たと見られ、『中山世鑑』に反映されている。
和暦の採用や、源為朝(鎮西八郎)が琉球に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったとする(『袋中神道記』、『保元物語』、『平治物語』などを参考にしたと見られる)記述がある。
為朝が琉球へ逃れ、その子が舜天になった事の真偽は不明だが、正史として扱われており、この話がのちに曲亭馬琴の『椿説弓張月』を産んだ。
日琉同祖論と関連づけて語られる事が多く、尚氏の権威付けのための伝説とも考えられている。
この話に基づき、大正11年には為朝上陸の碑が建てられた。

これもWikipediaです。
「中山世鑑」は神話、物語だと書いてあります。
私は、先日「琉球王朝」に関する本を古本屋で買いました。
「中山世鑑」の源為朝の話が延々と書いてありました。
馬鹿馬鹿しくて数ページ読んで放り投げました。
もっとくだらない「大嘘」を書いてあった本は、ごみの日に捨てました。

1609年、薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて沖縄本島に上陸し、首里城に進軍した。
尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。
これ以降、琉球王国は薩摩藩の付庸国となり、薩摩藩へ貢納を義務付けられ、江戸上りで江戸幕府に使節を派遣した。
その後、明を滅ぼした清にも朝貢を続け、薩摩藩と清への両属という体制をとりながらも、琉球王国は独立国家の体裁を保ち、独自の文化を維持した。
琉球王国が支配していた奄美群島は、薩摩藩直轄地となり分離されたが、表面上は琉球王国の領土とされ、中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人が派遣されていた。

冊封関係を結んだからといって冊封国がそのまま中国の領土となったと言う意味ではない。
冊封国の君主の臣下たちはあくまで君主の臣下であって、中国皇帝とは関係を持たない。
冊封関係はこの意味で外交支配であり、中華帝国を中心に外交秩序を形成するものであった。

琉球王朝は薩摩藩の府庸国になる以前は、中国の冊封国でした。
貢納の必要もなく、参勤交代のようなことをする必要もありませんでした。
日本が外国を支配する時は、言葉を奪い、文化を奪い、 物やお金を奪います。
中国の支配(支配ではなく、友好関係でしょう。)の仕方には、窮屈さがありません。
琉球も李氏朝鮮も中国の冊封国であった時の方が良かったはずです。
独立国のまま付き合う、それが古くからの中国の外交姿勢です。
日本は、国家と国民を完全支配しようとします。
人を支配することは出来ません。
戦いも、争いも無駄骨です。
お互いを尊重して付き合うことが、外交の基本です。
いい加減にそのくらいのことは、日本政府も理解すべきです。

羽地が言うことは違っています。
琉球は日本人が辿り着いた地ではありません。
中国の文化の影響を受けた王朝で、歴代王朝の王名は明らかに中国人の名前です。
琉球の建築物は、どう見ても中国の建物に似ています。
日本には下のような建築物はありません。

首里城(琉球)
紫禁城(中国)
彼らは赤が好きです。
其処が似ています。
私も最近赤が似合います。
若い頃は恥しくて、赤など着ることが出来ませんでした。

tʃurasaːn jaː(美しいね)
言語も薩摩藩が矯正を行った後の言語である可能性もあります。
日本は矯正をしますから、純粋な沖縄の言葉かどうか分かりません。
薩摩藩が進軍し、征服して400年経っています。
真実は闇の中です。
この言葉だけでは何も分かりませんが、日本語ではありません。
中国語の中にも日本語によく似た発音の言葉は沢山あり、沖縄の言葉にも日本語に似ているものが沢山あります。

琉球歴代王名
舜天(在位:1187~1238年)
第2代 舜馬順熙(在位:1238~1248年)
第3代 義本(在位:1249~1259年)
英祖王統
初 代 英祖(在位:1260~1299年)
第2代 大成(在位:1300~1308年)
第3代 英慈(在位:1309~1313年)
第4代 玉城(在位:1314~1336年)
第5代 西威(在位:1337~1349年)
察度王統
初 代 察度(在位:1350~1394年)
第2代 武寧(在位:1395~1406年)
第一尚氏王統
初 代 尚 思紹(在位:1406~1421年)
第2代 尚 巴志(在位:1422~1439年)
第3代 尚 忠(在位:1440~1443年)
第4代 尚 思達(在位:1443~1449年)
第5代 尚 金福(在位:1450~1453年)
第6代 尚 泰久(在位:1454~1460年)
第7代 尚 徳(在位:1461~1469年)
第二尚氏王統
初 代 尚 円(在位:1470~1476年)
第2代 尚 宣威(在位:1477年)
第3代 尚 真(在位:1477~1526年)
第4代 尚 清(在位:1527~1555年)
第5代 尚 元(在位:1556~1572年)
第6代 尚 永(在位:1573~1588年)
第7代 尚 寧(在位:1589~1620年)
第8代 尚 豊(在位:1621~1640年)
第9代 尚 賢(在位:1641~1647年)
第10代 尚 質(在位:1648~1668年)
第11代 尚 貞(在位:1669~1709年)
第12代 尚 益(在位:1710~1712年)
第13代 尚 敬(在位:1713~1752年)
第14代 尚 穆(在位:1752~1794年)
第15代 尚 温(在位:1795~1802年)
第16代 尚 成(在位:1803年)
第17代 尚 コウ(在位:1804~1829年)
第18代 尚 育(在位:1829~1847年)
第19代 尚 泰(在位:1848~1879年

明の皇帝名
1. 太祖洪武帝(朱元璋 在位1368年 - 1398年)
2. 建文帝(恵帝)(朱允炆 在位1398年 - 1402年)洪武帝の皇太子朱標の子。
3. 成祖(太宗)永楽帝(朱棣 在位1402年 - 1424年)洪武帝の子。建文帝の叔父。
4. 仁宗洪熙帝(朱高熾 在位1424年 - 1425年)永楽帝の子。
5. 宣宗宣徳帝(朱瞻基 在位1425年 - 1435年)洪熙帝の子。
6. 英宗正統帝(朱祁鎮 在位1435年 - 1449年)宣徳帝の子。
7. 代宗景泰帝(朱祁鈺 在位1449年 - 1457年)宣徳帝の子。正統帝の弟。
8. 英宗天順帝(朱祁鎮 在位1457年 - 1464年)第六代正統帝の重祚。
9. 憲宗成化帝(朱見深 在位1464年 - 1487年)正統帝の子。
10. 孝宗弘治帝(朱祐樘 在位1487年 - 1505年)成化帝の子。
11. 武宗正徳帝(朱厚照 在位1505年 - 1521年)弘治帝の子。
12. 世宗嘉靖帝(朱厚熜 在位1521年 - 1566年)成化帝の孫。正徳帝の従兄弟。
13. 穆宗隆慶帝(朱載垕 在位1566年 - 1572年)嘉靖帝の子。
14. 神宗万暦帝(朱翊鈞 在位1572年 - 1620年)隆慶帝の子。
15. 光宗泰昌帝(朱常洛 在位1620年8月 - 9月)万暦帝の子。
16. 熹宗天啓帝(朱由校 在位1620年 - 1627年)泰昌帝の子。
17. 毅宗崇禎帝(朱由檢 在位1627年 - 1644年)泰昌帝の子。天啓帝の弟。

帝を取って読んで下さい。
日本の文化の影響ではありません。
明らかに中国の漢字の影響です。
中国が東アジアの中心でした。
私達は、中国の歴史を踏み躙っています。
中国は、私達の国、日本の父であり母である国です。
日本の文字も、中国から来ています。
誰でも知っていることです。
隣の国と争うことより、平和を、平和を維持する為の努力をしましょう。

20:44 2010/10/25月曜日