第八章
神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。神が風を地の上に吹かせられたので、水は退いた。また淵の源と、天の窓とは閉ざされて、天から雨が降らなくなった。それで水はしだいに地の上から引いて、百五十日の後には水が減り、箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。水はしだいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。
四十日たって、ノアはその造った箱舟の窓を開いて、からすを放ったところ、からすは地の上から水がわききるまで、あちらこちらへ飛びまわった。ノアはまた地のおもてから、水がひいたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。ノアは地から水が引いたのを知った。さらに七日待ってまた、はとを放ったところ、もはや彼のもとには帰ってこなかった。
・
・
何かに引かれているような私の人生です。
私はBMI人体実験の告発の為に生まれて来て、そのために今苦しみの中にいます。
私が起訴もされていない、被告人になってもいない時に、拘留許可書も逮捕状もなく、大阪拘置所に入れられ、24日目、10月24日に兄弟の力で保釈されました。
拘置所は被告人が入るところで、起訴されていない者がはいる所ではなく、それを知っている弁護士は70万円もの弁護料を名前が4回変わった被害者社民党機関紙発行社民党員の調査もせずに、取るのでしょう。
普通、何年もの懲役になるような事件でも50万円です。・
2009年9月30日(火曜日)に警察手帳も見せない、逮捕状も持たない、手錠もかけられない男女3人が突然夕方家にやって来て、外で大騒ぎし、私は、何を持って行けばいいかも告げられず、家族も私にも行き先を告げず、3日間行方不明の状態になりました。
その日の夜中に拘留許可も逮捕状もなく、大阪拘置所に普通のワゴン車が入りました。
大阪拘置所に不正を取り次ぐがいなくては、出来ないことです。
警察の車でも、大阪地検の車でもありません。
拘置所は被告人が入る所だと書いてあります。
私以外は全員起訴され、公判中、刑務所入所待ちでした。
・
10月1日、私は大阪簡易裁判所に行きました。
拘留許可書の為に裁判官と会いましたが、裁判官は名前も言いません。
拘留許可は数日後夜中に届き、日付が9月30日に遡って拘留許可が出されていました。
そこでも大阪地検と同じで、弁護士は「一日だけ付けられるが、今ここでつけるかどうか決めないと付けられない」と嘘を言っています。
・
しかし、先日控訴した大阪高裁二審では弁護士をつけるかどうか問い合わせて来ました。
私はこの事がどういう意味なのかは分かりません。
聴いてもいつも本当のことは教えて貰えません。
公判では、検事の名前がいつも張り出してありませんでした。
裁判所に聞くと、私が一度見た検事の名前と違って、フルネームも言えないと言うので、検事の名前を弁護士に聞きました。
弁護士はそれとは違う名前を言い、フルネームを聞くと、「知らない」と言いました。
そういう裁判でした。
・
ノアの箱舟の日付のままに私の大阪地方裁判所入所と出所が行われています。
私は刑に処せられることがあるかも知れませんが、いつか文部科学省の行っているBMIの人体実験被害者を救うことが出来るのだと確信しました。
・
大阪簡易裁判所から大阪拘置所に夜中に届いた拘留許可書、保釈要件を書いた大阪地方裁判所からの公文書、記事や詩を書くなと何度も言って来た弁護士からの信書が公判中に盗まれてありません。
・
犯罪と国家
国家と犯罪
私達国民に出来ることはありません。
しかし、
はとは、私達BMI人体実験被害者、犠牲者のところに飛んで来るでしょう。
犠牲者の命はもう帰りませんが、私達をいつも見守り、助けています。
はとがやって来る日まで、一人も欠けることなく、どんなに苦しくても生きていましょう。
・
10:21 2010/04/29 木曜日
Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳
-
しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の予備割り当て、僕達が引き受けた犠牲者をよぅ...
2 週間前