創世記天地の創造
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
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地の混沌は私達人間の混沌です。
混沌という言葉があります。
混沌は実はうつくしいのです。
何もかも整理してはいけません。
カオスともよく言いますから、誰でも耳にした事があると思います。
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私も、朝起きてカオスを洗って・・・という詩を書きましたが、夫が政府に殺され、札幌に帰りますと、そのノートは盗まれていました。
パソコンに入っていたデータは、札幌にいた時に消されています。
自公政権と企業が、私の記事と詩を盗んだことがその理由です。
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混沌というのは、天と地が未だ分かれていない状態です。
これはいつでも、何にでもある状態です。
幼いということでもあります。
全ての営みの中に混沌はあります。
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私は何度も混沌という言葉に出会いました。
朝起きてカオスを洗って・・という詩は、2005年1月頃に書いた詩です。
創価学会と自民党に自民党鳥取県議会議長(幹事長)広江はじめ理事長養和病院に不正措置入院させられた年・2006年に吉野せいさんの「洟をたらした神」という本を買いました。企業に入り込んだ創価学会員による凄まじい中傷、嫌がらせの最中にいた時です。其の会社では、怪我を何度も故意にさせられています。天皇に続く道にある会社です。
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吉野さんの本にどれだけ救われたか分かりません。吉野さんの夫は、混沌という名で詩を書いています。その詩は、この世のものと思えないほど素晴らしい詩です。この詩の意味が分かる人は、実は全ての人です。しかし、分かる人はそう多くはいません。派手で、媚びた、売る為の詩ではありません。
私は混沌の詩集が欲しいと思っています。
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なぜか、私にいつも偶然が起こります。それはsignと言ってもいいものです。
何もしていない私がここまでの状況に追いやられ、生きる今を政府と司法によって奪われています。偶然が数多く重なって、こうして聖書を毎日開くことになりました。信者ではありません。キリスト教は、信者というものを求めていません。キリスト教ではありません。これは教えではありません。貴方と共に生きる、貴方の今日と明日が違うように、聖書は、貴方の今日と明日に合わせて変わっていく不思議な本です。私は汚い手で聖書を触り、何処にでも聖書を置き、或る時は放り投げて置きます、それが聖書です。そうして下さいと言っている本です。
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混沌さんの詩を読んで下さい。
私達人にとって一番大事な事が書いてあります。
宣伝ですから遺族の方は許して下さい。
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いちばんむずかしいことで、だれにでもできること・・ こんとん
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ふしぎなコトリらがなく
はながさいている
どういうものか ひとのうちにゆくものではない
ひろいはたけにいけ
きんぞくのねがするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでまでとどまれ
あせってはならない
きたひとにはなしをしろ
それでいい
クサをとりながらつちこにぬれろ
いきもはなもつかなくなれ
これはむずかしいことだが
だれにでもできることだ
いちばんむずかしいことをしていけ
いちばんむずかしいなかでしね
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この詩の後に続く吉野さんの文章が素晴らしいのです。
又、紹介します。
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むずかしいことばはいりません
ことばはいのちです
こころはひとのいのちです
こころをおかすことは、いのちをおかすことです
ですから、人権というものの中に表現の自由があります
わたしはそれをおかされて6年です
ことばはこころです
こころをおおうことのできる衣はありません
こころをかざれば、ことばのいのちが遠ざかります。
いのちであるこころを覗こうとすると、ひとのいのちであるこころが逃げていきます
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神はいません
完全であるモノは私達が望むモノです
全きモノは必ず球形に戻ろうとします
悪が支配すれば、善がそれを追いやります
どんなに球形が傷つけられようと、必ず救うひとが現われます
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私は其の役目を果たす為に生まれて、忍耐を要求された人生でしたが、不幸な人の側で手を握り締める悦びだけはいつも感じることが出来ました
私は日本政府の行っているBMI人体実験被害者を救う為に生きる悦びを感じ、夫は其の犠牲になりましたが、
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「これは犠牲ではない、貴方の命も又、多くの被害者と、其の周りの人を救う為に損なわれたのだから、無駄な死ではない」と言ってあげよう、言ってあげることが出来るように、私は生きよう」と思っています。
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11:21 2010/04/07水曜日