神は言われた。
「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
そのようになった。
神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。
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夕べと朝は第一の日からあった。
そう書いてあります。
第一の日の夕べと朝は、どういう違いがあったのでしょう。
日が沈む夕べ、日が昇る朝
太陽があるから、夕べがあり、朝があります。
ここに、聖書は聖書と名付けただけで、聖なる書物でも、私達人間・動物・植物の誕生、天地創造を神が行ったのではないことが書いてあります。
先にそれを示しています。
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組織だったものが、聖書を利用させないようにしてあります。
組織は個人を救いません。
私の2007年からの自公民主社民国民新党政府と創価学会による名誉毀損人権蹂躙を、アムネスティーも日弁連、法務局人権擁護課も助けないのを、見ていた方は知っています。
連合も其の一つです。
連合は、最も最悪な組織です。
組織は組織を守る為に動きます。
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聖書は個人を慰めます。
貧しくてもいいじゃないか、純粋で傷ついたけれども、心を汚して誰かを傷つけることよりいいよ、そのままで貴方はいいよ、と言ってくれます。
私が私を慰めるのと同じです。
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何処かの教会がこう言ったからこれが正しい、この解釈は間違っているということはありません。
結婚し、姦淫を行わずに済めば、それはそれでいいでしょう。
しかし、色々な事情や思いが人にはあって、姦淫してしまうこともあります。
それを悔い悩みます。
一生の内でひとりの男を愛し、その子供を産み育てる事が出来たのなら、それはどんなに楽なことでしょう。
楽なだけです。
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そう出来なかった貴方の人生があるとします。
そこら辺が聖書から貴方を遠ざけます。
「姦淫するな」と言います。
姦淫は、「すると魅力的」と言っているのと同じです。
心を奪われ、体を虜にするよと言っています。
それだけの事です。
戒めているのではありません。
戒められても、姦淫はする時にはします。
日本の仏教徒よりも聖書にこう書いてあるのに、キリスト教徒の方が大っぴらに姦淫をします。
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これは物語です。
戒めは、魅力的なもの、ひとがこころを奪われ、体を奪われ、我を忘れるものについて書いてあります。
数多(あまた)の「貴方のこころ」を奪うものをあげているだけです。
貴方のこころ(いのち)を奪う惧れのあるものです。
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聖書が聖なる本では無いことが分かって頂けましたか?
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朝があって
夕べがあって
日が昇り
日が沈む
生きることは悲しい
悲が昇り
悲が沈みます
貴方の今日の悲しみは今日終わります。
終わりにすることが出来ます。
朝になれば貴方はいつでも何処にでも旅立つ事が出来ます。
どのようにでも生きることが出来るのだと思うだけで、こころが軽くなります。
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第四日目に昼と夜、光と闇を分けたことは、貴方の苦しみは一日で終わり、又明日、日の出と共に生き直すことが出来ます、背負いきれない荷を夕べの訪れと共に降ろし、横になる闇が造られていることは、私達人間に与えられた救いです。
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闇の中にあることも又生きることです。
夜眠れないからと言って悩む事はありません。
眠れないのが普通です。
明日が見えない闇の中に生きることも、又人の在り様です。
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絶望があります。
私はその中にあります。
絶望は私そのものです。
生きることにも死ぬことにも興味はありません。
生きている意味もそうはありません。
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夫が政府に殺されました。
政府は自公から民主社民国民新に変わりました。
小沢一郎が直ぐに民主党が自民党に過ぎないことを教えてくれました。
私達BNI人体実験被害者に明日はありません。
「殺したかったら殺してみなさい」、私は死ぬまで、真実を書き続ける。
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わたしは絶望の中で、神になることにしました。
私が神ですから、私は正しい行いだけをします。
私に何を仕掛けても、そうした貴方自身が滅びるでしょう。
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11:26 2010/04/09 金曜日
Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳
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しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の予備割り当て、僕達が引き受けた犠牲者をよぅ...
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