「自分はこの世に生まれて誰の役にも立てなかった。」という悔いを打ち消してやるために、洋二郎君の腎臓を提供する・・・・・
「サクリファイス犠牲わが息子・脳死の11日」の一節である。
洋二郎君と柳田邦男は、親子である。
と書いてみて、やっと、私は、「洋二郎君と柳田邦男は、親子ではない。」・・・と確信した。
自分の子供が、誰かの役に立たなければ、生きた価値がないと、親は考えない。
もし人が役に立たなければならないとしても、人が生まれて、そして、只「生きた」と云う事程、喜ばしい事はない。
親は、仮に死を願わなければならない辛い人生だったとしても、子がその日まで只「生きた」と云う事で、充分満足だ。
仮に、どのような臓器を提供しても、その臓器が提供された人の体内で生き続ける事などない、と断言したい。
皮膚を移植すると、おそらくその移植した皮膚は、その場所で死に絶え、脱落している筈である。
臓器も然り。
おそらく臓器移植後、移植された臓器は、100パーセント死に絶える。
人間の体内で臓器を保護している液体の成分は、未だ殆ど分かっていない。
体外に臓器を取り出した瞬間、臓器は死ぬ。
例えば、卵子や精子を冷凍保存すると言ってはいるが、実際は、卵子や精子は、その場で死に絶える。
精子が卵子の壁を突き破るのだから、何も、針を刺して精子を卵子に挿入する必要はない。
精子が死んでいるから、卵子に針を刺して精子を注入している。
針を刺すと卵子は死ぬし、刺す前、即ち人の体から取り出した時点で、卵子は死んでいる。
臓器は移植出来ない。
人工授精は出来ない。
例えば、二人に子供がいなければ、夫なり、妻なりが、他の男女とセックスする以外に、子供を得る方法はない。
人を対象としたお金儲けは、人を犠牲にするしかないとしたら、人はお金の為に延々と他者に犠牲を強いる。
人が生まれ、存在し、死ぬ。
人の存在こそ、無を有に変え得る。
人の存在自体が、有用であ。
人は、無いものを欲しがり、人は他に犠牲を求める。
犠牲を強い、犠牲を捧げる時、人は人の存在を否定する。
結局、神は、権威、権力である。
犠牲を探し、犠牲を強い、犠牲を捧げるよう願う。
犠牲は、要らない。
生きているあなたさえいればいい。
22:53 2014/03/12水曜日
Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳
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