Within Temptation - Covered By Roses (lyric video)

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精神分裂病検査のない違法措置入院、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留

私は、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム、理化学研究所人体実験被害者です。法務省、大阪地検、大阪高検、米子地検、大阪簡易裁判所、最高裁は、捏造社民党名誉毀損事件を画策、家宅捜索礼状のない家宅捜索、逮捕状のない大阪拘置所違法24日間拘留によって、自民党、公明党、社民党、共産党、学者と全大学、全企業、全官公庁による窃盗、夫殺害、株不正売買、米子市養和病院違法措置入院、40にも及ぶ違法有料ブログ解約、厚生労働省、医師会、歯科医師会、看護士会、介護士会、各政党と党員、キリスト教、天台宗、創価学会、幸福の科学、ものみの塔など宗教法人と信者による音声送信とストーカー、嫌がらせ、自民党社民党によるOCN、EDIONenjoy違法プロバイダ解約等の証拠隠滅を行いました。私は、詩人、エッセイストでもあり、翻訳家でもありますが、私の詩、エッセイ、翻訳詩、翻訳小説、翻訳文を、日本政府は、世界中に売っています。

プロ以上の翻訳を成田悦子

  • Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳 - しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の予備割り当て、僕達が引き受けた犠牲者をよぅ...
    1 週間前
  • Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳 - しかし3、4人を除いては、誰も大隊司令官によって直接推奨された者はいないだけでなく、隊或いは師団の隊員への攻撃をする間に自ら名を上げた、さもなければ誰もが新陸軍大隊か他の連隊に送られ、僕達は依然として 叙勲されなかった。僕はたった3つの例外だけ思い起こせはする。表彰の通常の...
    1 週間前

2014年1月25日土曜日

かもめは、何だかこわいなと思うの、五木寛之さん 67

池澤夏樹は、五木寛之さんが新潮社から1974年「かもめのジョナサン」を発表した頃、雑誌で「かもめのジョナサン」を翻訳したと言っている。
彼は、何故かサン・テグジュペリ「星の王子さまを2005年に翻訳している。
2005年に翻訳したのかどうかは、不明。
出版社は、出版年月日を故意に前倒しする。
理由は、他の翻訳者や作者の盗作、盗用作品だから。

その雑誌の名を語らない。
雑誌に発表などしていないからだ。
彼が「かもめのジョナサン」を、翻訳したのは、アメリカの雑誌だ。
英語の作品を何故英語に直すのだろう?
日本人向けの雑誌・・であれば、尚更宣伝用に誌名書く。
雑誌で「かもめのジョナサン」を翻訳した、と毎日新聞紙上で、一面を使って書くのならば、それを毎日出版社に翻訳本として出版して貰う筈である。
私はほんの数行を翻訳した。
私が翻訳すると、簡単な話になり、誰が読んでも分かり易くなると思った。
しかし、私が全部翻訳すると、又作家や学者や翻訳家が盗む。
私は、この池澤夏樹の、「既に雑誌に発表してある」という、NETと新聞を使った大キャンペーンに「かもめのジョナサン」の翻訳を当面見送る事にした。

五木寛之さんは、御自分だけで翻訳された方がいい。
彼の文章は、どちらかと言うと、無駄のない、分かり易い文章だから、きっと正しい翻訳に行き着けると思う。
翻訳は、創作ではない。
創作されたものを、まるでもう一度創作せざるを得ないと思う程、困難な作業ではあるが、それは、決して創作ではなく、創作してはならないものである。
原書を書いた作者と、その国の人々の心を、日本語で、日本人にそのまま伝える事が出来る・・これ程嬉しい作業は他にない。
今までの学者や翻訳者を使った下訳制度的な事を止め、又、原書の著作者、出版社への連絡をきちんとすれば、既に翻訳してあるという人の名も分かり、トラブルも減る。
全ての出版社が責任を持ってそうした事を遂行すれば、作家も出版社も、著作権も安全と思える方向に向かう。
何もしなければ、そのままである。
出版社は、自らの首を絞めてはいけない。

リチャード・バック(Richard Bach、1936年6月23日 - )
「1974年6月20日に、新潮社より五木寛之の訳(下訳はのち東大教授となる國重純二)で出版された。」と、WIKIPEDIAに太線部分が追記された。
私は、よかった、と思う。
五木寛之さんだけが辛い思いをしなければならないとしたら、それは間違った方向に進んでいる事を意味する。
おそらく、お互いに翻訳し合い、五木さんが最後に、それを文学的文章に変えて行ったのだろう。
それが、今まで当たり前に行われて来た、翻訳の手法である。
私は、翻訳というのは、私という翻訳者の影や訳した足跡を消したの?と言われる程、原作者の意を汲み、黒子(くろこ)に徹する事だと考える。
作家は、最も翻訳家として適任である。
小説の翻訳に、翻訳家も学者も要らないのだ。
きっと、五木寛之さんも、そう思っていらっしゃるのだろう。

私は、「かもめのジョナサン」を読んだ事はない。
かもめは、何だかこわいな、と見る度に思う。
「死を予感させるような、何かがある。」
下訳の國重純二が2013年暮れに亡くなられた。
五木寛之さんには、生きていてほしい。
次から次へと文学者、作家が亡くなられる。
国家は、書く者を殺してはならない。

21:57 2014年1月25日土曜日