柳田邦男次男洋二郎君は、玉川大学通信教育部のサマースクーリングにその日、行けないと言った。
彼は、A大学に通う、しかし対人緊張が強く授業に出られなくなる。
対人緊張が強いと書くのは、柳田邦男、対人緊張が強いと指摘したのは、精神科医。
彼は、誰にも理解される事もなく、自殺ではなく、他殺であるにも拘らず自殺とされ、息子洋二郎を理解しようとしない父柳田邦男と文芸春秋社、日本医科大学に葬られ、見世物にされている。
A大学当時人に対する緊張感が拭い去れなくて、普段交流のない人と接触を強制される玉川大学通信教育部スクーリングに行けるだろうか?
彼は、当時三年だったから、二年間は行ったという事になる。
父と精神科医は、対人恐怖はない、と判断し、他に原因を求めなければならなかった。
彼は、安定剤と強い睡眠薬、精神病治療薬を常用していた。
柳田邦男は、何時か洋二郎が決定的な事をするのではないかと、何時も頭の何処かで思っていた。
それは、柳田邦男が父として間違った事をして来たという自覚があるからである。
決定的な事をさせる方向に、息子を向かわせるのは、柳田邦男自身だと自覚しているからである。
子供が、学校に行かない家庭は、多い。
学校にいるのは、馬鹿な教師だけだから、今や学校は行かなくて良い、いや寧ろ行くべきではない、学校は参加すべきではない組織であると、感性豊かな子供達は皆、知っているからだ。
親の腐り切った目に何が映る?
その子の唇から、決して発する事のない一言を読み取れるか?
親の耳に子供達の悲嘆に暮れる呻きが聞き取れるだろうか?
親の胸の何処が痛むだろう?
親の生のほんの一部でも彼に捧げ、犠牲にしただろうか?
犠牲は、その時だけ。
血を流し、人はその場に倒れ、息絶える。
僕は、死んでも良い、子供を生かしたいと、自らを子供の生け贄に、と考える親がいるだろうか?
学校は、行かなくていい、行かない方が良い場所になって久しい。
その日、「死にたい」と彼は父に言った。
「薬を二回分呑んだ」と彼は告白している。
こういう事は、これまでも何度もあったに違いない。
夜の十時半から午前一時まで、柳田は文芸春秋社の仕事をする。
私は、当時柳田が関わった「同時代ノンフィクション選集」を買って少しだけ捲った。
これだ、と思う事が幾つかある。
ノンフィクション作家は、おそらく小説家や翻訳家と組んで仕事をしている。
その日彼は、一人で仕事をしていたのだろうか?
洋二郎自殺までの二時間半という時間の長さ、妻は、強い睡眠薬を呑んで眠っていたという話。
柳田は、妻を起こさずに救急車の手配をし、日本医科大学救急救命センターに向かう。
疑問に思う事が沢山ある。
サマースクールに行かなければ、社会から脱落すると、柳田邦男は考える。
社会から脱落するのを懼れるのは、子の自然な巣立ちを願う親として当たり前ではある。
しかし、彼は何故こうまで生きる事を許されないのか?
洋二郎君は、何をした訳でもない、中学二年生の時、故意に目に向かって級友が投げ付けた白墨が彼の今日を暗くしている。
ならば、其処に毎日毎日親は子を連れて戻っては、深く掘り下げ考えてほしい、と私は思う。
洋二郎君は、何も悪い事をしていない。
何故、眼に、故意に白墨を投げ付け、怪我をさせたその子とその親は裁かれないのか?
その子の親と、その親の背後の組織は、政治家と結び付いている。
柳田が書いた「マッハの恐怖」に登場する航空機事故は、ロッキード社、ダグラス社、ボーイング社のシェア争いによるものである。
柳田と彼の家族を葬らなければならない誰かが、精神科医、日本医科大学、文芸春秋社の助けを借りている。
21:05 2014年2月5日水曜日
Good-bye to All That Robert Graves 成田悦子訳
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