「認知機能」は、人が心理学的な「認知」を行うための、知的機能を総称した概念です。五感(見る、聴く、触る、嗅ぐ、味わう)を介して外部から得た情報をもとに、物事の現状を認識したり、言葉を操ったり、計算・学習・記憶を行ったりします
私達は脳からの指令で動いてはいない。
今、私がこれを書いている理由、
「統合失調症」という病名も告げずに、私が暴力的であったことはないのに、また誰一人その日私が暴力的であるところを見た訳でもないのに、私が会員になっていた米子市民劇場代表石田建博(たけひろ)の一度も会ったことのない妻と米子市民劇場会員の男、石田建博の近所の津田の妻らに呼び止められ拘束され、米子市警への電話に伴い、パトカーでやって来た警官二人に連れられ、米子市警に向かい、米子市警では事情聴取も行わず、現場検証もせず、名刺も渡さず、名前も告げない鳥取大学精神科医師と米子病院(精神病院)医師に、私が持っていた詩一編を見せただけで、書類も見せず「保護入院」と告げられ、鳥取大学医学部出身鳥取県議会議長廣江弌の娘で、鳥取大学医学部出身養和病院(精神病院)医師廣江ゆうは、一切の質問もないまま、着くと直ぐ「措置入院です」と入院の形態を変えた。理由は告げなかった。勿論統合失調症の検査は一切行わなかった。鳥取県西部総合事務所の職員は不在だった。ましてや鳥取県知事片山義博元自治官僚、元慶応大学、現早稲田大学教授がその場にいる筈はない。措置入院には知事の許可が必要である。緊急を要するような状態に私はなかった、暴れてもいないし、混乱することもなかった。この朝、私は手持ちの株の年次報告書が届いたことがないので郵便局に紛失届を出すつもりでいた。前日、紛失届を貰いに行くと、郵便局長は突然理不尽にも激しく怒って、「そんなものは出せない」と言ったが、若い男性局員が私に渡してくれた。
理由が先ずある。
もう随分前のことなので私は忘れている部分も多く、が、その日の、或いはそれ以後の深い失意が、私に書くよう、もっと詳しく書くよう勧める、書き始めると文字にできることは実際、増えていたりもする。脳が何かを記憶しているのでもなく、私が認知したことは日が重なるに連れ、薄らぐこともない。私の外側に幾つもの私に関する情報がある、私はその情報提供者を知っていることも知らないこともある。外側の情報が私の記憶を維持させることが可能かと言えば、外側の情報は私の記憶を混乱させるだけ。私がこの身を痛め、この心を痛めた情報は、私が覚えている。私の脳だけが働いて記憶しているのではない。私の全身全霊が記憶している。