そもそも「認知」とは e-ヘルスネットでは、認知について次のように書かれています。
認知とはそれをそれと認め、納得するという意味である。下線部分は国語力の無さを露呈している。こうした意味もなく受け身の形で書いたものが、アベノミクス文部科学省脳科学戦略推進プログラム開始以来、氾濫している。正しくは、
「e-ヘルスネットには、認知について次のように書いてあります。」
「e-ヘルスネットでは、認知について次のように書いています。」
認知症だと言われ、市町村にそのレベルを告げられ、医師や看護師、介護士らに自宅に自由に出入りされ、施設に収容され、直ぐに死んだ方々が近所に何人もいる、私の母も同様である。母は認知症ではないと側にいた私は言った。私は一度も母を介護したことはなかった。夜は二人でテレヴィを見た後、私の部屋に戻って寝たし、朝も母の側についていたことはない。排便排尿の介護は必要なかった。今日が何曜日で何日であるかについても、規則正しく暮らす母は、書いて夜遅く或いは翌日早く寝る不規則な生活を送る私よりずっと正確だった。実際、認知症で確認されるそうした事は、規則正しく暮らすかどうかであって、呆けたか呆けていないかの指標たり得ない。医療従事者や科学者らの単細胞的、短絡的思慮、推測には呆れ返る。
電磁波ADSによる泌尿器科医師や看護師、介護士、厚生労働省役人、保健局、薬局、薬剤師、大学・高専関係者、おむつ関連会社、製紙会社等による尿意の操作が、全国民に対して日常的に行われている。母は何も知らずに被害者らしく振る舞い、何もかも知っている私は、母を彼等が仕掛けた罠から救おうとした。嘗て助産婦であり、看護婦だった母は、過剰なこの頃の医療に対する不信感は持ち合わせていた。が、母は「もう年だから」と諦めてはそう繰り返した。母は大正15年、つまり昭和元年、1926年1月生まれだった。
太陽生命年金保険に私は加入していた。この生命保険会社が文部科学省脳科学戦略プログラムに乗じて年金受給直前の59歳と11ヶ月で夫の殺害後行った事を、私は書かなければならない。一旦支払われた年金保険がどのように厚生労働省と太陽生命に吸い取られて行くか知って置いた上で、年金保険加入を決めた方がいい。今になって太陽生命は、認知症に関する太陽生命の認識について書いた。それを読みながら私は書こうと思っている。彼らの認識は認識ではなく、言い訳、すり替え、後付けである。