パープルハート章の前身は、ジョージ・ワシントンによってアメリカ独立戦争中の1782年に制定されたバッジ・オブ・ミリタリーメリット (Badge of Military Merit) である。この章は紫色でハート型の布片だった。しかし、この章は終戦に伴い運用されなくなった。
1932年、ジョージ・ワシントン生誕200周年を記念して、大統領命令により当時の陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーが”パープルハート章”の名称で復活させた(1932年2月22日陸軍省令第3号)。
第二次世界大戦中、アメリカ軍は日本本土決戦において生じるであろう死傷者数を推定して50万個のパープルハート章を製造したが、ポツダム宣言受諾によって本土決戦はなくなり、量産されたパープルハート章は戦後長い間残っていた。2003年時点でも総数12万個程あり、底をついたのは2010年頃・・Wikipedia
夫が殺害されたのが2010年、北海道警と北海道は、北大法医学部教授的場倫太郎の名で死体検案書を作り、事件にしなかった。私は、その四年前、安倍晋三内閣誕生直後の2006年12月18日早朝、株の年間取引証明書の盗難届を郵便局に提出する予定だった、市民劇場代表石田建博妻(朝鮮系)の通報により鳥取県警に連行され、米子病院医師と鳥取大学医学部精神科医師によって何の質問も検査もせずに、鳥取自民党県議会議員経営養和病院に保護入院と言われるが、書類の提示はない。県知事の許可も得られずに強行された。養和病院に着くと、養和病院長の娘、鳥取大学医学部出身広江ゆうは、措置入院と告げる。誰の許可も得ず、鳥取県自民党は、何もしていない老境に差し掛かったばかりの私に措置入院を命令する。
その後も精神病関連の検査、質問はない。私はトイレで飲んだばかりの薬を必死で吐き続けて約半年後退院。退院直前に広江ゆうは治ったと言ったが、病名を告げない。私がしつこく訪ねてやっと明かしたのが統合失調症。統合失調症は、精神分裂病と言い、世界中でも数人もいない病気だった。しかし当時の坂口力厚生大臣は、その名を統合失調症に改名、この日付が又2002年であり、私の子供の誕生年、誕生日で、私の家にふふふさんへという葉書を何枚も送り続けた組織、創価学会と研ナオコ、東宝、宝塚歌劇団がある。研ナオコは歌の中でフフフフと歌っている。
2010年私が札幌の家に私が帰ると、夫の死体があった。夫には左首から肩にかけて紫色の大きな血腫の痕があり、異常な程大きな添木が両肩全部を覆っていた。足にも車のドアで傷つけられたと思われる骨まで達する外傷があった。翌日が手術日だった、しかし翌日は日曜日、手術はしない筈だ。日本生命は、直前に夫に生命保険をかけている。日本生命広世現の生前を私は知っている、彼は生きている、所ジョージであり、鴻上尚史であり、由紀さおりであり、優香であり、かつては越路吹雪もやっていたし、タチアナ・サモイロワ、浜美枝、その他多くの有名女優、俳優を独占して来た。日本生命は、私にも保険を掛けた。夫の声で子供に伺いを立てたと言う。その保険金の請求をしたにもかかわらず、今日まで返還しない。
ダグラス・マッカーサーは、黒澤明、その他としてその後も日本に滞在。日本は今もアメリカの占領下にあり、マッカーサーである黒澤明も健在である。パープルハート章の紫色の石の部分は、水晶だと思う。私が子供の頃、私の家の近くの山は、以前私の曾祖父の所有だったが、詐欺でハンコを押させて取り上げ、そこから大量の水晶を掘りだした。私の子供の頃は、その低い山は採掘の所為かどうなのかは私は知らないが、松林の枯れた松葉の上に幾つも幾つも白く透明な水晶が剥き出しになっていた。
2010年、4月18日夫死亡、アメリカとマッカーサーが殺した。
夫は年金受給直前一ヶ月前、私が札幌で机の引き出しを捜しても、紫水晶はなかった。紫水晶は大きなもので、夫の父が生前集めていた。私は父に大きな紫水晶を二つ貰った。ほんの小さなものでも一万円はする。アメリカが盗んだと今つくづく思う。アメリカは、私の顔、私の母、父、兄弟、私の子供たちの顔と体と能力と声でハリウッドを運営、政治家を創出、アメリカ帝国を築き上げた。