「人の心や意識は、・・・・誰もがその存在を感じることができるのに、その正体は全く分からない・・・・心や意識は、脳という人の器官の働きで生まれたものだ。しかし、心に病を抱えたり、ひどく落ち込んだりしたとき・・・・脳がどのように働くことで、心や意識が生まれているのか、その仕組みがよく分かっていない・・・・」
上は日経ビジネスのほんの一部です。
正体を見付けたがる脳科学好き。実際は泌尿器科系統を電磁波で刺激して落ち着きを失くし、その間に何でも盗むというのが、科学と文学の正体なのにね。科学脳が求められていると今日も誰かが言っていた。意識、心の存在とその正体。意識も心も存在しないし、正体はない。脳味噌の中でそんなものが活躍しているとしたら、頭が痛くなる話である。
意識に高低を付ける。誰が付けるかと言うと、私自身が、或いは貴方が。意識の高い私は貴方をよくは思わない。高かったり低かったり普通だと言われたりするものに物価がある。私は先日の買い物で卵を買った、300円を超えていた。今日の買い物では186円で買えた。卵は存在する、私は冷やさない事にしている。ガスではなく、電磁調理器でもなく、まだまだ多少の不便さはあるがそれも楽しい、固形燃料を使っている。固形燃料も存在する。では物価は?存在し得るだろうか?意識はそれによく似ている。変動する、掴めない、時や場所や状況がそれを無いものにも随分価値が高いものにもしてしまう。例えば心臓に手を当てればそこにある事が分かる。それを心臓の存在という。しかし意識に触れることは出来ない。脳が私達に提供していると言うが、脳の何処にも私達に分かるように書いてはいない。これを存在しないと言う。意識は存在とは無縁である。心臓も同じ、存在はするが、こころがそこにあるとはどうしても思えない。存在というものは明確でなければならない。
脳はThe Quiet Americanのようで、静かな臓器である。脳は何も言わない、脳は計算をしたり、文章を書いたりしない、させない。私たちには目があり、鼻があり、口がある。それは私達の顔の奥の方で繋がっている。私達の意識も心も私達の感覚器官と体全体、体の内側全部を総動員して作って行く。しかし変わり易く掴めず無いも同然と思う事もある。しかしそれが私だし貴方である。私の顔が一つしかないように貴方の顔も一つしかない。機械ではなく生き物として、私である事、貴方である事、心と意識という存在しないものが私達を支えている、歓迎しよう。