和合亮一と「中原中也賞受賞者、選考委員」は詩人、評論家ではありません。
彼は日本語を使えません。
和合亮一は、私や他の詩人の詩を盗む男です。
「鳥居正宏のときどきLOGOS」と全く同じ時にこのブログは作ってあります。
社民党、公明党、自民党、創価学会、朝日新聞、毎日新聞が関っています。
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ブログマガジン「カ☆ピバラ」詩の雑誌「ウルトラ」(発行人:和合亮一編集長:及川俊哉)の特別版です。(不定期更新)
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ゼロプロの方針について④【社会に対して詩の領土を拡げることと詩人として一人になる覚悟を持つこと】
2008年02月21日 22時10分01秒 | Weblog
【社会に対して詩の領土を拡げることと詩人として一人になる覚悟を持つこと】
――今の和合さんのお話と、もしかしたら繋がるのかなと考えていたのは、例えば、今ものすごく情報が溢れてますよね。情報っていう形のテキストはものすごくたくさん出てきてますよね。ただその情報の洪水の中で、生命が通った言葉みたいなものに対する渇き、餓えみたいなものが今の状況のなかで逆に生じてきているのかな、と。その餓えみたいなものに多分和合さんがイベントなんかで触れられて、逆に今までと違った、詩が受け入れられる土壌っていうのが、醸成されて来ていると感じられたのかなと。それを和合さんが今、詩が偏在してくるような状況っていうのが生じてきている、と。そういう時代の変わり目を察知されてそうおっしゃったのかなとも思ったんですけれども。
和合 そうですね。だからいかに社会と詩の接点をどう見極めて新しい方向に持っていくかっていうことは、詩を書くことと同じくらい大事なことなんだと。
――それがさっきの「場」の問題ですよね。接点というのは、「場」なんですね、そうするとね。
和合 だから我々が集まって共同戦線を張る意味だよね…、書く人達は個人個人なんだけど、だけど時には集団で書かなくちゃならないこともあるんだと思う。
――はいはい、なるほど。
和合 だけどだらしなく他者に寄りかかるような、他者に寄生するようなことだけはね、書き手としてのプライドとしてやっちゃいけないことだと思うんです。そうではなくて、常に志を高く持って、心にきちんと筋道を作って、自分は高いところ目指すんだという人たちが共同戦線を張ればおのずと集団で向かっていく意味ができてくると思う。
だけど内側に行こうとするのは、集う意味がそもそもないと思う。
――はい。
和合 詩を書くということは最終的には一人であって、誰の後ろ盾も誰の手助けもそもそもない。
――だけども集団でやる場面も必要なんじゃないかと。
和合 それだからこそ、逆にそういう潔さを持ちながら集団でかかる意味があるんじゃないか。
――なるほど、なるほど。
和合 どうして九〇年代に詩が衰退しているっていうふうに内外から言われて、衰退特集なんかが組まれたり、新聞なんかでもそういうことばっかり言われたかというと、皆がみんな、誰かが誰かに寄生して非難することで自分を高めようとしたからだと思っています。
結局仲間内で仲間をけなして、相手を、詩を書く仲間をけなすことで自分のステイタスを確立するような方法をとっていったがために、最終的に詩は駄目なんだというところだけが残ったということ。
じゃあ批評って言うのはなんなのか、っていうことなんだけど、批評って言うのは基本的に相手を高めること。相手を高める上での物言いなら必要だと思うんだけど、自分を高めるための物言いならそれは批評とは言わない。世にある批評っていうのは基本的にはそういうものに向かっているものが多かったんじゃないかな。だから九〇年代にはゆっくり衰退していったんじゃないかと思います。
ただ我々が「ウルトラ」も「いん・あうと」もどっちかっていうと批評がメインで、そもそも暇さえあれば詩を書いている僕がみんなにやろうと言っていることの意味っていうのは、自分に還ってくることと、お互いを高めあえるような批評の空間っていうのはなんなのか。そのための共同戦線を張りたい。
――けなしあうこと自体が甘えである、っていう視点ですよね、和合さんの。それはすごく新しい見方じゃないかなという気がしますけど。
和合 そうだね。合評会っていうのはあくまでも合評会の中だけで存在するものものであって、常に社会と対峙していく我々においては、外側を巻き込むような合評会は必要ない。それを勘違いしてはいけないと思う。
もともと本当の意味でものを創る人間っていうのは、結局、ものを創ることでしか批評ではないので。だから誰彼にどうこう言われる――、今までいっぱいバッシングを浴びてきたから、自信を持って言うんだけど(笑)。誰彼に言われる前に自分で気づかなくちゃいけない、ものを創る人間は。
だから雑誌に一〇の作品が並んで、一番目から一〇番目の中の八番目に自分の作品があったとして、一番目から一〇番目までまず読むと。その時、もう既に批評になっていると思うの。
逆にそれで自分を自分が批評しなくちゃいけないと思う。結局、我々ものを創る人間っていうのは作品で勝負だっていうこと。
――なるほど。
和合 そこに陥りそうになったときは、ストップをかけたい。
――そうですね。すごくはっきりしてきましたね。一人一人が闘ってきているわけですよね。
和合 そうそうそう。
――だから個人として「戦争」を抱えているわけですね。
和合 そうそうそう。
――その抱えたもの同士がね、あるとき集まる側面も必要なんじゃないかっていうことですよね。だからもたれあうために集まるわけじゃなくて。
和合 標的にするために集まるんじゃなくて、
――…つまり廉潔な、高潔な志をもって、それぞれのサムライがある時武士団になってまとまって、またそこから散っていくなら散っていくっていうのも、闘いの一つのあり方だろうし。
和合 そうそう。例えば「ゼロ・プロ」の一〇人が集まったとしたら、一〇の媒体ができなかったら嘘だと思う。
――ああ、それで和合さんは各自個別に動くべきだっておっしゃっているのは、そこなんですね。「何で始めないんだ」っていうのをすごくイライラして見ていらっしゃいますよね。
和合 いや、そこまでは話をしたこともないし。
――なんで待っているんだ、っていう気ではいらっしゃるんじゃないですか。
和合 これは「ゼロ・プロ」が始まる前から思っていたことではあるんだけど。
――指示待ちじゃ駄目だろうっていう感覚がありますよね、和合さんには。
和合 例えば、今の話を続けていくと一〇人の詩人が集まったら一〇の媒体ができれば、それだけ領土が拡大していくわけでしょ。一〇人集まって、一人の基地でみんな一〇人そこにいるんじゃなくて、一〇人集まったら一〇の基地があるんだということでやっていかないといけないと思う。だから総合的な感覚でみんなで動いていかないと。
いつまでもね、そもそも依頼があるとか、場所があるっていうことは存在しない世界だから、詩を書くっていうのは。自分で作る以外には他には方法がない世界だから、詩を書くっていうのは。
だから逆に今、依頼があるとか、場所を持っている人はそれがいつまでも続くっていうことじゃないんだ。たまたまそれが今あるってことで。極端なことをいうと嘘の、虚構をはらんでいるってわけだよね、発表の場所としては。それは作家だって俳人だって歌人だってみんな同じだと思う。結局、今現在、発表する場があるっていうことは、イコール永久ではないわけだし。
一番心に残っているのはね、自分のこれまでやってきた活動の中で同人誌っていうのが一番長い活動なんだけど。阿部岩夫さんっていう詩人が、「同人誌は認められたらもうやめるべきなんだよ」って。
――おおー(笑)。
和合 俺は「飾(かざり)粽(ちまき)」っていうのが参加した同人誌としては最初なんだけど、「飾粽」はもう認められたんだからやめた方がいいって、みんなに言ってたのね。「じゃどうしたらいいですか」って言ったら、「また違うのを始めるべきなんだよ」って。認められたら終わりなんだと。
それはね、同じ時代の時間を過ごしたと思われる井上光晴っていう作家も同じようなことを言ってて、「芥川賞を獲ったり、賞を貰うようなもの書きは腐敗する」とよく言っていた。そういう観点ってやっぱり大事なのかなぁって、自分でやってて。
――それはつまり…?
和合 それは結局賞をもらうことで安心してしまうからじゃないかな。ちょっと聞くと、単にひねくれた、他人からの評価なんかはゴメンだっていうニヒルな発言に聞こえてしまうけれど、そうではなくて。安心しちゃうと、自分はこれでいいんだと思って進歩したり変化したりということを求めなくなっていってしまうと。賞を取ることで地位にしがみついてこだわったり、同人誌を確固として作ってしまうことで新しいことにチャレンジすることへの恐れが湧いてくるようならやめてしまえばいいと。そういう意味なんじゃないかな。
――ああ、なるほど。
和合 だから、結局話をもどすと、よどんだり停滞したりしないためには新しい場を模索していかなければならないんだよね。石が転がり続けるためには転がっていく「場所」が必要なわけで。常に社会に爪痕が残るようなインパクトを与えていくためには、新しく社会とぶつかる場が常に必要なわけだから。
――その場が虚構であることを知りつつ、あえて、それをやる、と。
和合 そうそう。
――でも、それは、えらいたいへんですよね!だって右足が浮いているうちに左足上げればずっと空飛んでられるっていう話と…
和合 (笑)そうそう。
――それと同じ話ですから。それ、考えるとですね、いつも、和合さんと、こう、おつきあいさせていただいてて、いつも聞こうと思ってたんですが、和合さんの、そういう活動の原動力っていうんですか(笑)、それはいったいなんなんですか?エネルギー源というか…だって、やっぱり何かないとここまで人はがんばらないと思うんですよ。特に和合さんの場合ね、まあ、自分もそうですし最近の詩人はみんなそうですけれども、もう一つ仕事も持ってらっしゃってね、そっちも半端じゃない、普通にそれだけやってる人でも忙しい仕事じゃないですか。そこらあたりを踏ん張る力ってどこから湧いてくるのかなって、いつもすごいなって思ってるんですが…。
和合 …うーん、エネルギーっていうかね…。うーん、ふりかえってみると、自分は、詩のおかげでいいことがいっぱいあったんだよね。たくさんの人に出会えて、たくさんの場所に行けたし、普通だったら話せない人とも話したりできたわけだし。だから、もう、自分のためにどうこうという気持ちはまったくないよね。詩に感謝して、恩返しするつもりでっていう、その思いが常にあってやってるなあ。いま、あらためて考えてみると。気が狂いそうな時とか迷っている時にいつも、「詩のために」って3回ぐらい頭ん中で呟くんですね。すると、自分自身よりもとても大きな気持ちになることができる。
――あー、それは、すごくいいですね。最後にすごくいい結論を聞かせていただきました。お話をうかがいながら、遅ればせながらようやく自分の中での「ゼロ・プロ」が始まりだしたような気がします。どうも今日は長い時間ありがとうございました。
二〇〇七年五月十九日 会津若松市「パーラーJIRO」にて(聞き手及川俊哉)
(注1) 二〇〇二年十二月十四日に西早稲田の「ル・カフェ・レトロ」で行われたイベント「リーディングとトーク『詩はウルトラ』」のこと。