村上春樹新潮社の新作だけ、何故新聞社、NET、TV等メディアが肯定するのか?やはり彼らは書いていないんだ、今回の出版と作品の称賛は普通ではない、検索してみると分かる、何社の協賛によるか、ライターらの共同作業によるか、数えるのも怖いし、嫌だ。
石原慎太郎と石原軍団、維新の会(石慎いししん→いしん)、東大、京大、早稲田、慶応、一橋の作家とライターらの合作であり、その中には三島由紀夫も石原さとみ加賀まりこである川端康成も含まれる。
先ず言えるのはしつこ過ぎと薔薇けてるの同居。
先ず言えるのは文章が下手。
薄気味悪い。
不潔。
村上春樹は、毎日新聞に70年安保闘争に関してこう言っている。「偉そうな言葉が行き交い、それが結局無力なまま消えていったことが言葉に対する不信感に結びついていた・・」と。私は1969年二十歳だった。偉そうな言葉は中学の頃から学校の図書館を利用しての読書で培った。他に私のような本好きの人がいたかと言えば、高校三年まで一人もいなかった。貴方はしかし言葉だけに頼る作家である。言葉が自分に不似合いな程、難解を極めてもそうでなくても、言葉に依存せず何に依存する?20歳前後の未だ何も知らない、何も謎を解けない学生達の運命を誰が狂わせた?貴方もその加害者の中心人物だったのではないか?
言葉はそりゃあ無力です。消せます、消えます、変えられます、自分でも変えたりします。私の存在は、まるで透明人間、透明現実に仮住まいしているみたいな。だけどこれしかできなければこうしているのです。頑固に稚拙にこうして存在するのです。貴方はこういう私が脅威ですね。
貴方の翻訳は、それは下手で間違いだらけで参考にもしていなかった。そかし貴方は消えない。私の書いたものは鼻っから検索から外され、出て来た時にはすっかり改竄され、統合失調症、前科三犯の文字と並べられます。私は、それは貴方がた作家全員、ライター全員、翻訳者全員、全メディアが実力がないからだと思っています。
私の翻訳は、翻訳が終わったその日に検索から外されます。そして意味の分かる翻訳が出来もしなかったのにしゃしゃり出て来るのは、下手な俳優を使ってつまらない映画を撮った映画会社の予告編と共産党の同名の曲や、過去の日付に遡って新たに書いた毎日新聞の村上春樹のインタヴュー記事や田中征二郎訳ばかり。言って置きますが、田中征二郎も村上春樹も翻訳できません。
世界は何時だって不安定です。それは私と他者の関係が不安定だったり、地球の自転や公転が不安定だったりするのに似ています。私は不安な時寧ろ外に出て或いは窓を開けて自分の目で現実を見ます。安心は何処にもありませんが、安心できる空間にはしようと思っています。世界は狭くもあり広くもあり。広い世界は、おおよそで、見えもせず、語りもせず、聞こえもしない。狭い世界は、把握できます。
広い世界に出る事、何かの壁を越えて出入りする事は、立派に見えても無意味です。壁を私は越えません。壁の中を変えてしまえばいいでしょうに。壁を打ち破るような暴力的振る舞いは嫌です。私が子供を叱って子供をお風呂に閉じ込めると、子供はすぐに洗面器や色んなもので遊び始めて何の効果もなかった。鍵がかかっている訳ではないので出られるのに出て来ない。私に対する子供の徹底した拒絶を、今、私は思います。その頃はそこまで思わなかった。子供は私のものだったんだもの。壁の中を変えてしまえばいいという発想は、その子から教わったんだと思います。
文章は短くても長くても誰かが要求していればどうにでも出来る。それで初めてプロと言えるでしょ。